ホーム > 日記 > 魂の満足を求める時代となった。
私がやっている仕事は、世間からみればどうでもいい仕事です。

人の恋話を聞く。

仕事の悩みを聞く。

人間関係の悩みを聞く。

正直言ってとりとめのない話題ばかりです。世間から見れば、どうでもいい話ばかりかもしれません。

勝ち組や安定した生活を送っている人から見れば、こんな話に付き合っている暇はないという内容のものばかりでしょう。

悩んでいるのは、たるんでいるから。うまくいかないのはすべが自己責任だ。悩んでいる暇があれば仕事しろ。常識人の大人から見れば、そのように見えるのかもしれません。

常識のある大人から見れば、取るに足りない仕事。勝ち組の人から見ればお粗末な仕事。弱った人や負け組手ばかを相手にして、あなたの仕事は世間で役に立たない、よほど暇なんだなと思われるかもしれません。

確かに、ここに来られている方は常識人から見れば、負け組に見えるかもしれません。それをお相手している私も変わっている人だと思われても仕方がありません。

だが、私はそのように思っていません。
ここに来られる方は決して負け組ではないからです。

ここに来られている方は、感動を求めてきているのです。
今は忘れてしまった感動。常識のある大人や権威のある成功者が忘れてしまった感動です。

常識人から見れば、一見くだらないとりとめのない話から感動が生まれます。人を愛し人に尽くす心から感動が生まれます。裏切られて悲しむことからも感動は生まれます。

ここには、利益を生む生産性の話は何もありません。尽くしてただ働きの物語ばかりです。利益と価値を重視する生産効率の高さを求める企業や学校教育、権威ある勝ち組からすれば、おそらく何も利益をうまないこの場所は無駄に思えるでしょう。

しかし、どうなんだろうね。
成功した人。安定した仕事をしている人。結婚して豊かな家庭を築いた人。事業に成功して金持ちになった人。常識人の勝ち組の人に果たしてそういう人に感動があるのでしょうか?果たして生き甲斐があるのでしょうか?

そういう人たちには「感動がない」のではないでしょうか。

物欲が豊かになればなるほど生産性を重視するがあまり感動がなくなる。自分に与えられた時間は利益を追及するものばかり。利益を追及すれば忙しすぎて、心に余裕がなくなり感動がなくなる。そんな時代になった気がします。そこに成功者と言われる人や、一般的な常識を持った人たちは生きているのです。

いまの時代はテレビや映画を観ても感動しません。演劇やコンサートに行っても感動しません。本を読んでも、ユーチューブを観ても感動しません。

テレビは低俗なものばかり。
映画も感動する作品がない。
音楽もわけのわからない雑音ばかり。
インターネットも混乱する情報ばかり。
本も良書というものがない。
(探せばあると思うのですが)

いずれにしても、感動するものがない。
これが今の時代です。
皆さん平和ボケになったのかもしれません。

なぜならメディアの都合で作者の都合で監督の都合で政治家の都合で権威者の都合で、自分たちに都合のよいものばかりをこの世に出しているので、一個人としては自分に合ったものがなく感動するものがないのです。

いまの時代は豊かになった人こそ感動のない時代なのかもしれません。
また豊かではなくとも、普通に暮らしている人でも感動がないのかもしれません。
礼儀正しく常識に生きて来た人にも感動がないのかもしれません。
今の時代は、感動が欠乏している時代といっても過言ではないと思います。

テレビは面白くない報道ばかり繰り返し。映画もいまいちピンとくる作品がない。ネットでは情報が氾濫し、自分が探しているものはどこにあるか、わけのわからない時代になったのではないでしょうか。

感動欠乏症で情報過多で空しく生きる。
これが今の時代かもしれません。

今の時代は、個人個人が自分に合った感動とやりがいを求めているのではないでしょうか。


その点、私の仕事は個人の求めている感動を引き出すことになります。
そんな大袈裟なことはしていません。
ただ、とりとめのない話を聞くだけです。

この場所には、メディアや大作家などのイベントものは何もありません。個人のとりとめのない話ばかりです。話はコロコロ変わります。いい方向や悪い方向や思わぬ方向へと転じていきます。

彼とうまくいっていない悩みから、彼の悪い部分の話になり、この男性はやめた方がいいという話になったかと思うと、やはり彼が好きだという話に舞い戻ってしまう。

私は人をなかなか好きになれない、彼は久しぶりに好きになった人。こんな彼だけど大切にしたいと決意表明したかと思えば、やはり彼はやめた方がいい、彼とは幸せになれないという話に舞い戻ってしまう。

堂々巡りのとりとめのない話が続く。

感動とはこのとりとめのない話にあるのではないかと私は思っています。大手メディアが作成したものより、個人の問題提起の中にある。個人の悩みこそ、感動のテーマである。そのように私は思っています。悩みこそが感動を生む最高のシナリオだとね。

悩みのシナリオから感動が生まれる。
個人の問題を解決することで、そこに感動が生まれる。
また解決ができなくとも、話を聞くことで感動が生まれる。
とりとめのない話には、生きる哲学がある。
悩みのシナリオから哲学が生まれ、これが感動を呼び起こすのです。

個人個人の生き方、その哲学がここにある。
だから、ここに来られる方は決して負け組ではない。
一人一人が感動を求めている哲学者なのだ。

私の仕事は、魂を満足させること。
たっぷりとりとめのない話を聞いて。
そこに哲学を見出して。
やる気と生きる知恵を見出して。
自分の問題を感動に置き換える。

メディアが提供してくれなかった感動がここにある。
個人の感動は個人の悩みにある。

私の仕事はまだまだですが、皆さんが求めている感動を提供したいと思う。
魂を込めて。



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コメント

大事なことだと思います!

学校でもどこでも教えてもらえないことを沖川先生にはたくさん教授してもらっています。
人として大事なことがちゃんとしているからこそ、仕事もプライベートも頑張れると思います。
早く何度も相談させてもらっている今の彼氏との結婚報告ができるように頑張ります(笑)

No title

結婚のご報告お待ちしています。

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