欲望とは、「外に対しての願望」。 外に対しての願望は、あれが欲しい、これが欲しいという物欲。
それに対して希望とは、「自らのうちに求めるもの」 すなわち、「どうありたいか」、ということ。
さらにネットで検索すると。
希望とは、自分がこうありたい、誰かにこうしてほしいと願う心の事で、具体的な最終目的地があるもののこと。例えば「入社を希望する」「大好きな人と両想いになりたい」といった具体的な望みの事。
一方欲望とは、物質的な望みの事で「お金持ちになりたい」「人から羨ましがられる様な良い暮らしをしたい」「毎日ぐーたら好きな事だけして生きて行きたい」といった、いつまでもゴールにたどり着かず、欲が欲を生み、いつまで経っても満たされないような望みのことである。
なるほどね。ネット検索、いい勉強になりました。
では、私の考えではどうかというと、
欲望は人間の生存本能で、希望はその本能を超越する生き方。
欲望と希望は人間があわせもっているもので、欲望から希望が生まれる。
欲望によって失敗するれば、痛めに合う。悲観によって極度の心配症になる。心の中は不安だらけでネガティブスパイラルに陥る。
このままでは生きていけない。だから何かをしなければいけない。考え方も変えなければならない。そこで、欲望を超越した考え方を持つようになるのが希望である。
考え方が希望になるのは、試練を乗り越えなければいけない。人間が持つ欲望は、なかなかしつこくて頑固。なにせ生存本能だから、これを剥がすのは困難。どうやって欲望をなくすか、これが最大の試練となる。
この試練に打ち克つには、達観した心を持たないといけない。
「あきらめよう、そうすればうまくいく」はここからきている。これが、達観した考え方だからです。
あきらめたら人生は終わりか。
いや、終わりではない。
人生は欲望をあきらめた時からうまくいくようになる。
世の中にはあきらめてうまくいった人が無数にいることも事実。欲望をあきらめたとき、希望が出てきて、新たな目標もできた。それによって自分の願いが叶った人も多い。
今にして思えば、あのまま欲望にしがみつかなくてよかった…しがみついたら今頃自分は不幸になっていた。こういった経験を持っている人も多数いる。人生とは経験。達観した心になるには、痛みを分けた経験が必要となる。
多くの人は自分の欲望を成し遂げることに一生懸命になるが、やり方も性格もそれぞれ違う。この例を戦国武将で見てみよう。
戦国三武将である織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の性格を日本の渡り鳥であるホトトギスを用いて歌っている俳句があります。
「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」(織田信長)
「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」(豊臣秀吉)
「鳴かぬなら鳴くまでまとうホトトギス」(徳川家康)
どちらもホトトギスを鳴かすことだけに目標を持った俳句ですが、この三つの俳句以外に4つ目の俳句を詠んだ人がいます。それは松下幸之助です。
「鳴いても鳴かなくてもどうちらでもいいホトトギス」(松下幸之助)
松下幸之助の句の方が希望があると思いませんか。
戦国三武将はホトトギスを鳴かすことに欲望を持った。
松下幸之助は、どちらでもいいと欲望を捨てた。
欲望を捨てることで希望が生まれる。
松下幸之助の句を詠んで、私はそのように解釈しています。
何が言いたいかというと「希望とは欲望を超越したところにある」ということです。
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