東洋哲学では「あきらめよう・・・そうすればうまくいく」と教える。
二律背反の矛盾する教えだが、私は状況に応じて使い分ければいいと思っている。
二律背反(にりつはいはん)とは、正命題、反命題のどちらにも証明できる矛盾・パラドックスのことである。パラドックスとは、一見正しそうに思える理論のなかで明らかに成立しない条件を見つけたり、受け入れがたい結論になったりする状態のことをいう。
つまり、教えの中には逆説というものがあるということである。
どちらを採用するかどうかはあなた次第ということになる。
人には欲望がある。
お金に対する欲望。
出世したいという欲望。
地位や名誉に対する欲望。
権力に対する欲望。
それらの欲望を全否定するつもりはない。欲望は人間の生存本能でもあるので、欲しければ取りに行けばいいと思う。だが、過ぎたる欲望は身を滅ぼす。欲望の塊では、みっともない不幸な人生が待っているだけである。
人を愛する欲望にも凄まじいものがある。
相手を我がものにしたいという支配的な欲望。そのための束縛、そのための監視、そのための嫉妬。過ぎたる欲望は身を滅ぼす。欲望の塊では、みっともない不幸な人生が待っているだけである。
過ぎたる欲望は身を滅ぼす。
そのとき救ってくれるのが、「あきらめよう・・・そうすればうまくいく」である。「最後まであきらめるな」では息が詰まって限界となる。人間は限界まで欲望を持つものではない。過ぎたる欲望は必ずといっていいほど身を滅ぼすからだ。
「最後まであきらめるな」
「あきらめよう・・・そうすればうまくいく」
人間は、この二つを上手に使い分ければいいと思う。
欲望は人間の生存本能である。
欲しければ最後まで頑張って手に入れる努力をすればいい。
だが、限界に達したらあきらめればいい。
あきらめることが悪いことではない。
あきらめるとは、欲望を超越した考えに至ったことを意味する。なまけて、サボってあきらめたわけではない。とことん頑張ってあきらめるから欲望を超越できるのである。あなたはとことん頑張った。だから、あきらめていいのである。
「最後まであきらめるな」
「あきらめよう・・・そうすればうまくいく」
どちらも成功する方法である。
私はそのように思っている。
だから、状況に応じて使い分ければいい。
希望とは欲望を超越したところにある。
欲望は人間の生存本能である。だが、過ぎたる欲望は身を滅ぼす。限界に達すればあきらめた方がうまくいくことを覚えること。欲望を超越してこそ、人間は幸せになれる。
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