ホーム > 恋愛・結婚・復縁  > 病は気から、病気は自己変革の教室だ。
病気になると誰もが不幸だと思うでしょう。
しかし、病気が必ずしも不幸とは限りません。
中には不幸な人もいますが、実は幸福な病人も多くいるのです。

一病息災。
病気もなく健康な人よりも、一つぐらい持病があるほうが健康に気を配り、かえって長生きするという意味です。

「なぜ自分だけがこのような目に遭わなければいいけないのか」と運命を呪い、世間に反抗的な態度を取ったところで、病気はよくなりません。そうなると、自らの精神まで病んでしまいます。

病気に精神まで支配されるのでなく、自らの精神で病気をめし仕えせしめることが寛容です。

病気のときこそ、金銭や財産、地位や快楽などの世俗的な欲望はを捨て去り、本当に価値がある自分に目覚めることです。

世の中には病気より始末に悪い人々がたくさんいます。
たとえば、エリートと称する集団はとても始末に悪い。

政治、経済、社会の頂点に立って活躍しているエリートと称される人々の思考は、金銭、財産、地位、名誉、権力、快楽など俗世の価値をむさぶる傾向にあります。

世俗の欲望ににかられた彼らは、恥も反省もないという傲慢な病にかかっています。

こういう人たちの恋愛は、言葉は巧みだが責任を取らない。相手を精神的な病に陥れて、自分だけが出世街道をひた走るという神からも見放された暴挙に出るとこがあります。

世俗の金銭、財産、名誉、地位、権力、挙句の果てには快楽に走るという種族は、やがて因果応報の裁きを自ら負うことになるでしょう。

彼らにいいたいのは、因果応報の裁きによって病気になったとき、金銭や財産、地位や快楽を捨て去り、本当の価値である自分に目覚めることです。


病気とは自己改革の教室です。
病に倒れたとき、この勉強が始まります。

世俗的な欲望があるときは、この欲望を捨て去り、病気と向き合い、病気と友に自己改革の修行の場だと念じることです。そうすることによって、一病息災の心構えができています。

一病息災の心構えを持っていれば、病気そのものは決して不幸ではなく、むしろ幸せでもあるのです。


金銭、財産、地位、名誉、権力、快楽など俗世の価値をむさぶるエリート集団ほど、実は不幸なのです。彼らは人間味を失った世俗の悪だからです。彼らこそ病気にでもなって、自己改革をする必要があります。そうすれば彼らも目覚めるでしょ。本当の幸せとはなんなのか?そこに目覚めるはずです。


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コメント

原因も完治も分からない病気で何度も症状が出ると命に関わる病気です。
何度も気で乗り越えようとしました。
病気の心身の苦しみや辛さは本人にしか分かりません。だけど、味わったからこそ人には優しく、困っている人には手を差し伸べたいと思い、医療従事者の道を選びました。
病気になって自分の目標や性格や生き方を見つめ直し、これからの時間の使い方も考えるようになりました。
恋愛面では安心感、仕事では安定感、生活面では充実感…私が求めている幸せですが、生きている事が幸せだと身に染みています。
俺様、エリート、路上飲みで騒いでる人達も、幸せとは何か、何が大切かを気づいてもらいたいです。

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