そういった努力は、たとえいったんはよい結果が出ても、全体を通して見ると、必ず悪い結果となる。
せっかく汗をかいて努力しても、なぜ、いい結果がでないのか?それは人のためにならない努力をしているからだ。自分さえよければいいという努力は最終的には悪い結果となる。
自分さえよければいいという努力は。
弱い者を痛めつけ、弱い者を助けようとしない、自分さえよければいいという努力。仕事が忙しいといって彼女を放置して、子供が「パパ遊んで」といっても無視する。弱き女・弱き子供を守ろうとしない自分のためだけの努力。
そういった努力は一時的に実を結ぶかもしれない。出世して金持ちになって名誉も与えられるだろう。だが、最終的には大事なものを失うことになる。
なぜ、弱い者を助ける努力をしなくてはいけないのか?
そういう人には、いい運がつくからだ。
弱い者を痛めつけてはならない。
痛めつければ、必ずといっていいほど運が下がる。
弱い者は助けてやるのだ。
そうすれば、必ずといっていいほど運が上がる。
自分さえよければいいという努力。
人のためにならない努力は、やがて悪い結果になる。
人間は、それになかなか気づかない。
仕方がないのかもしれない。
人間は自分を中心に生きている生き物だから。
どうしても自分中心になってしまう。
他人の面倒を見る余裕などない。
自分のことで精一杯だから。
だが、人間はいつまでも自分中心に生きていくわけにはいかない。
自分のために生きている人でも自分の努力によって余裕ができることもある。余裕ができれば、人恋しくなって恋に落ちる。相手を愛することで喜びも感じるようになる。
今まで自分中心に生きてきたものが、人を愛するという大事なものを学ぶ。
「この子のためなら、僕の全てをあげてもいい」「この子は僕が一生守る」「この子を幸せにするため、僕はどんな努力でもする」という愛の誓いを立てる。今まで自分のために生きていた人が、やっと人のために生きるようになる。
しかし、愛の誓いは短く終る。
また、すぐに自分を中心にした生き方に変わってしまう。相手のための努力ではなく自分のためだけの努力にまた変わってしまう。その結果どうなるか?愛は終ってしまう。
愛を失えば、運が下がることになっている。
愛を失って、自分のためにいくら努力しても最終的にはいい結果とはならない。寂しい人生が待っているだけである。
人間の自己中心的な考えは、長い習慣によって染みついている。
人のための努力より、自分のためだけの努力をするように、長い年月と習慣がそうするように仕向けられている。もはやこれは性格だ。だが、この性格のままでは最終的には不幸になる。最終的に幸せになるためには、自分のためより弱き者のために努力することだ。
男は弱き生き物(女・子供)を守ることで成功するようにできている。なぜ、弱い者を助ける努力をしなくてはいけないのか?そういう人には、いい運がつくからだ。
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うん 運が下がる 納得です