ホーム > 恋愛・結婚・復縁  > 人間は不安なことを考えるが、不安なことが起きないように制御しているのも人間である。
ぎりぎりに生きている。
私も含め、皆さんも、ぎりぎりに生きている。
世の中は希望もあれば不安もある。人間は希望と不安の狭間でぎりぎりに生きている。ちょっと油断すると不安に苛まれ、ちょっと頑張ると希望の光が差す。またちょっとでもサボるとすぐに不安の中に落とされ、そこからまた努力すると希望の光が見えてくる。人生は油断大敵なのかもしれない。

人間は不安なことを考える生き物だが、不安なことが起きないように制御しているのも人間である。人間は不安と希望のぎりぎりの中で生きている。サボれば不安の中に一日いて、努力すれば希望の中に一日いることができる。どちらも、この一日は長く続かない。

不安の1日が長く続けば、それは嫌になる。精神の崩壊を招き人生も破綻する。希望の1日が長く続けば、それは幸せになる。だが、希望を維持するにはそれなりの努力が必要なので、努力を継続するのもしんどいものがある。

人間は元来怠け者でサボるのを得意とする。また人間は勤勉で一生懸命働くのを得意とする。どちらも人間だ。サボったときは、たまにはノンビリするのも大切だと正当化し、働くときは使命であり義務であると正当化する。

人間は不安の借金と希望の貯金の中で生きている。
不安を負債と呼び借金だとする。
希望を一生懸命働いた貯金だとする。
元来怠け者でゆっくりしたい人間は、この貯金を取り崩しながらゆっくりしたいとサボる。だが、貯金はすぐに底をついてしまう。そこから慌てて働いて貯金をしていく、希望を取り戻すために。人間は希望の貯金と不安の借金の狭間で生きている。人間はこの二つを行ったり来たりしながらぎりぎりで生きている。

私はそれでもいいと思う。
不安のある人生。
希望のある人生。
両方を行ったり来たりするのが人間。
それでいいではないか、と思っている。


できれば、希望を多くしたいだけ。
不安が8で、希望が2では嫌だ。
希望が8で、不安を2にしたい。

希望を10にするのはきつい。これじゃ休みなく働くことになるので、かえって不安が多くなる。不安が10ばかりでは人生終りだ。気が狂ってしまう。不安が5で希望が5の半分でもよいが、できれば希望をもう少し多くしたい。

人間は不安なことを考えるが、不安なことが起きないように制御しているのも人間である。人間は、不安と希望の狭間でぎりぎりに生きている。ほんの少し希望を多くすれば、それだけ人生は豊かになるのではないかと思う。

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