既婚者を好きになった不倫。
ダメンズとの恋愛。
別れた人との復縁。
こういった恋愛は、人々に反対される。
ダメだと・・・本人も頭では分かっている。
だが、やめられない。
やめたら生き甲斐を失ってしまうからだ。
「生き甲斐なら他にあるでしょう」と人々はいう。
それも本人は分かっている。
他に生き甲斐があることくらい。
だが、幾ら探しても人を愛する気持ちに勝る生き甲斐はない。
仕事に活路を見出してもダメ。
スポーツに汗を流してもダメ。
趣味に没頭してもダメ。
人を愛する気持ちに勝る生き甲斐はない。
人を愛する気持ちは、人間が生きていくための基本。
この基本があるから、仕事に活路が見出される。
この基本があるから、スポーツで気持ちのいい汗が流せる。
この基本があるから、より趣味が楽しくなる。
この基本があるから、友達との楽しい時間が過ごせる。
家に帰れば、愛する人がいて、そこに生き甲斐があるからそういうことができる。
生き甲斐が、何かをやるための基本となっている。
でも・・・今はその生き甲斐がない。
愛は失ってしまった。
ということは生きる基本を失ったことになる。
終って良かったね、と頭では分かっている。
でも、感情がついていけない。
頭では理解できても感情がついていけない。
こうなる気持ちを誰も責めることはできない。
人間は弱い。そして、人間は間違いを犯す。
たとえ間違っている恋愛でも、そこに生き甲斐を見いだす。
人は愛がないと、生きていけないからだ。
人を愛する気持ちは、どんな恋愛でも、生き甲斐となる。
不倫の愛も、ダメンズとの愛も、不貞の愛も、不可能な愛も、どんな愛でも、その人にとっては生き甲斐だ。ほとんどの人はそのことを知らないが、私はそのことをよく知っている。愛はどの形でも生き甲斐だと・・・知っている。
それによって、他では相手にされない相談が、私のところに舞い込んでくる。
私は大歓迎だ。複雑極まりない相談にいまさら驚くことはない。複雑な相談はさすがの私でも少々頭を悩ませるが、それも刺激だ。活路を見いだす刺激だと思って、鑑定に当たっている。
不倫の相談。
不倫は幸せが10%で苦しみが90%の世界。不倫を一度経験した人は、二度と不倫はしたくないという辛さを味わう。ここまで辛くて悲しい物語は他にないからだ。付き合っている間は生きた心地がしない。強い罪悪感とルール違反と法律違反と反社会的活動が不倫という愛のシナリオ。
まともな精神構造でこの不貞の愛を続けられる人はいない。そこで悩む、苦しむ。苦しみは当然だが、ここでやめる人も滅多にいない。なぜなら、それでも愛は生き甲斐だからだ。
そこで、私のところに鑑定を兼ねて相談に訪れる。
私のところに来るってことは、そろそろ潮時を迎えているのかもしれない。
終りの苦しみを携えて、私のところに相談に来ているのだろう。
そういう人には、共感しながらも未来に希望を与えるようにしている。
また、中には「続けてもいいですか?」という人もいる。
それに対して、私は反対しない。
一般の人なら反対するかもしれないが、私は反対しない。
なぜなら、愛は生き甲斐だからだ。
どんな愛でも生き甲斐だからだ。
私に人の生き甲斐を止める権利はない。
話の内容によっては「やめたほうがいいですよ」という忠告はするが、強行に反対などしない。その人が続けるということは、その人の人生の裁量によるもの、あと少しだけ続けたいという微かな希望を打ち砕くことはできない。
どんな愛も生き甲斐だ。
不倫でも、壊れた愛でも、復縁でも、生き甲斐だ。
いい恋愛だけが生き甲斐ではない。
人々が悪いと称する恋愛にも生き甲斐がある。
そして、愛には善も悪もない。
生き甲斐を善悪で区別するモノではない。
その人の気持ちで善悪を区別しながら、生き甲斐に変えるしかない。
人は不幸を望むわけではない。
相手の不幸を望んでいる愛はこの世に存在しない。
不倫相手が相手の家庭を壊してまで、この愛を自分のモノにしようとしているわけではない。不貞の愛だが、純粋にその人のことを愛しているに過ぎない。下手な純愛より、不倫の愛の方が純粋の場合もある。
純粋な気持ちが見えたとき。
「続けてもいいよ」と私は答えるようにしている。
愛は生き甲斐だから。
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