わたしは変わっているか?というと、自分でもいうのもなんだが、わたしはいたって普通だと思う。完璧とはいいませんが、真面目に働いて、普通に生活しているからです。
一般女子であるわたしが、なぜ変わった人を好きなるのか?というと、自分でもよくわかりませんが、何かに抵抗していると思います。おそらく社会に対して・・・。
社会の道理に従うと、なんか息が詰まってくる。社会で生きていると、虚無感に襲われる。人生の意味や自分の存在意義などについて「まるで無意味なのではないか」と思って、絶望と失望のどん底に落とされてしまう。
その原因はなにか?
おそらく教育のせいだろう。学校では、社会に出て仕事に役立つことしか教えない。社会に必要な人材を育てることに終始して、肝心な人間性の教育がなされていない。その子らが卒業して社会人となる。企業は売上重視の競争社会。生産性のみを追求するので、ここでも人間性の教育がなされていない。
学校や社会の教育は、社会に役立つ人間を育てることにある。目標を持つこと。計画を立てて実行すること。向上心を持って仕事をすること。人生を豊かにするには金持ちになって成功すること。そのためには、仕事で成果を出すことだ!と教える。
自立して経済力を持つこと。この課程の教育は素晴らしいと思う。生きていくために必要なことなので、なにも文句のつけようがない。自分もそうやって勉強してきた。大学を出て社会人となった。その点では普通にやっていると思う。
だが、何かが足りない。
失望感と絶望感が襲いかかる。
来る日も来る日も、生産性重視の競争社会に身を置いていると、自分の存在価値を失ってしまう虚無感に苛まされてしまう。
もう一個の教育が欲しい。
教育というか生き甲斐。
優しさ、温かさ、ぬくもり、穏やか、平和、安心、幸せという生き甲斐が欲しい。競争社会で疲れ切ってしまう人生より、幸せを感じる人生を歩みたい。
生産性重視の競争社会に身を置いていると、落ちこぼれが出る。
その落ちこぼれが、変わった人である。
変わった人は、ダメ人間だったり、社会不適合者だったり、メンヘラだったりする。
彼らは不完全な人間かもしれない。
だが、この不完全さに救われることもある。
変な人だが、
ぬくもりを感じる。優しくて温かい。平和主義者で安心感もある。人を押しのけて出世しようとも思っていない。オレがオレがという自慢話もない。技術力も向上心もない。日陰の存在で自信がない。メンタルが弱くひねくれた性格を持っているが、今までの生意気な教育を受けた人とはひと味違う。
なんか・・・この人に惹かれる。
周りから「やめておけ!」という社会不適合者であろう彼に興味が湧く。
なぜか?というと、
その人が持っている不完全さに救われるからです。
今まで生意気な教育を受けた人たちとはひと味違う。
それは、現代人が忘れかかけている、もうひとつの教育を彼が持っているからです。世間的にはダメ人間かもしれませんが、あなたはそれを認めていないはずです。彼には現代人が忘れかけている、優しさ、温かさ、ぬくもり、穏やか、平和、安心、幸せという感性を持っているからです。
なぜ、
変わった人を好きになるのか?
それは、競争社会に疲れた人が、
競争社会から逸脱した、不完全な人に救われるからです。
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