誰も不幸になりたいとは思わない。
だが、幸福になるには不幸を乗り越えないとなれない。
また、幸福に安堵して油断して怠けると不幸になる。
「幸福」と「不幸」は表裏一体、紙一重ではないかと思う。
不幸を経験するから幸福になる。
幸福を経験するから不幸になる。
前者は不幸から立ち直る努力をするから幸福を掴むことができ、後者は幸福に甘えて油断するから不幸となる。努力すれば幸福となり、油断すれば不幸となる。人間の歴史は、努力と油断の繰り返しなのかもしれない。
人間の本質は基本的に怠け者。
できれば仕事などしたくない。自由気ままなに遊んで暮らしたい。でも、それだと怠惰怠慢な生活を送り不幸になってしまう。それでは「いけない」と思って努力をする。働く努力を続けることで幸福の切符を手に入れる。
しかし、努力はしんどい。
あくせく働くのはしんどい。働けど働けど我が暮らし楽にならない。薄給の上、時間と能力と気力と体力を搾取される企業の奴隷では身も心もボロボロとなる。努力すれば多少なりとも幸せを感じるが、それを維持するのはしんどい。
「もう嫌だ!しんどいからやめる」。
そうなればまた不幸に逆戻り。仕事をやめれば、しんどさから解放されるが、それ以上の苦しみが襲ってくる。それは先の見えない不幸。収入が断たれれば、人間が生きていくために必要である「衣・食・住」の3原則が保証されなくなる。
3原則がなければ人間は生きていけない。また、3原則があれば生きていける。衣服と食物と住居。 生活をしていく基礎。これが幸福の基本。「衣食住」さえ確保できれば、人間は幸せに生きていける。歴代の多くの偉人たちは、「衣食住があれば幸福。それ以上は贅沢だ!」という言葉を残している。
今は「衣食住」もいろいろと変化してきた。
「衣」はファッションの時代へ。
「食」は飽食の時代へ。
「住」はマンションや戸建てのマイホームの時代へ。
「衣食住」にも高価なものがある。ブランド品に身を包み、高級レストランで食事をし、豪邸に住む。なんていう贅沢は金持ちに任せればいい。それで幸福とは限らない。
それより質素な生活の方がはるかに幸せを感じるのではないだろうか。少なくても私はそう思う。質素な生活は身分相応で、自分にはぴったりだと思うから。「衣食住さえ確保できれば、それ以外は贅沢だ」偉人たちの声に耳を傾けたいと思う。
いずれにしても、幸と不幸は紙一重。
その人の気の持ち方ひとつで優劣が決まる。
私のお客さんは不幸な人が多いが、それはそれで幸せではないかと思う。なぜなら不幸の裏側には幸福があるから。だから、いまのうちに不幸をたっぷり味わった方がいい。不幸をたっぷり味わえば、人間は幸福になるための努力をするようになっているから。
彼氏とうまいっていない。
彼氏と連絡が取れない。
彼氏としばらく会っていない。
彼氏との今後が見えない。
などなど…不幸な状況は多い。
恋愛は胸を締め付ける窮屈な物語が多いが、その人を選んだのも自らの責任。今は不幸な道なりだが、頑張れば幸福な道も見えてくる。そんなことはない!私は何年も苦労している。7年も10年も努力しているが、一向に彼氏との関係は改善されない。わたしって不幸だわ。この不幸がずっと続くと思うと憂鬱でたまらない。
そうかな。
好きな人がいるのは幸福なことかもしれないよ。彼氏がボンクラであなたにいろいろ苦労をかけているかもしれないが、「いないよりいた方がいいじゃん」中には恋愛ができない人もいる。恋人のいない人もたくさんいる。また年老いて恋愛を卒業した人もいる。死の病の病気になって恋愛ができない人もいる。
そういう人からみれば、「恋愛ができて羨ましい」と思われるだろう。「いないより、いた方がいい」これを再度確認することだね。苦しくても、好きな人がいることは、それはそれで幸せだと思うよ。
いまのうちにたっぷり不幸を味わいなさい。
でも、それは不幸ではない。
あなたが不幸から幸福になるための試練でしかない。
その試練を乗り越えるのもまたあなた次第。
しっかり頑張って、試練を乗り越えなさい。
「いないより、いた方がいいよ。」
最新の予約の空き状況はこちら
- 関連記事
-
- 彼の仕事が忙しく恋愛がストップしている。
- 恐怖に屈するのは、恐れていた結果に苦しむよりたちが悪い。
- 不幸を恐れることはない。不幸を経験すればやがて幸福になれる。
- フラれたばかりのときは、恋愛運が上がっている状態。
- 恋愛がうまくいっていない人は、モテることに専念してみては?