ホーム > 人生哲学 > ありのままに満足する生活は自分には合わない。何かが違う気がする。
ありのままに満足しなさい。
欲を捨て、今の生活で満足しなさい。住む家があって、ご飯が食べられ、お出かけ用の洋服がある。衣食住がそろっていればそれで幸せ。欲望を捨てありのままの生活で満足しなさい。あまり欲張るな!人生は足りないくらいで丁度いい。足るを知ること。

足るを知る・・・か。
なるほど・・・「足るを知り、ありのままに生きること」。これはいい教えだと思って実践してみた。何年か実践してみてわかった。これはいい生き方かというと、自分の予想とはぜんぜん違った。結論からいうと、この生き方は虚しいだけ。つまらない生き方だなと思った。

その生き方をしていると、なにか大事なものを失った気がする。
大事なものって?向上心を失い、刺激も失い、何かをやってやろうという力も失い、人間が持っている活力という大事なものを失ってしまった気がする。

ただ平々凡々とありのままに生きていると、怠け癖がついてしょうがない。この生き方では、生き甲斐のない最悪な人生に向かっている気がしてならない。

足るを知りながらありのままに生きる。自分はこの真髄にまだ到達していないのかもしれない。もちろん欲望だけに走るのは良くないが、ではただありのままに生きた方が良いのかとなると、それも正しくない。両方を取入れて生きればいいのではないかという結論に達した。

足るを知りながら、欲しいものを求める。この生き方でいいのではないかな。

欲しいものは我慢する必要がない。手に入れる努力こそが向上心であり、それによって生き甲斐も生まれる。努力して手に入れたものは幸福感さえ感じる。足るを知るありのままの生活では、努力して手に入れる幸福感が味わえない。これこそ虚しい人生だ。

だから、
いいのですよ。人間は欲望を持って。
この欲望を正しく使えばいいのですよ。
と、自分に言い聞かせている。


人間は欲望という刺激があって向上するもの。欲望を抑えて刺激を我慢しなさいという、ありのままの生活だけでは、人生は虚しくなってしまう。

私には、足るを知るありのままの生活で満足する生き方はどうも合わない気がする。その生活だとだらけて虚しい生活が続くだけ。活力もない向上心もない欲望も刺激もない生活では自分の生き方としてはそぐわない。

でも、足るを知ることも覚えた。暴飲暴食などの悪い習慣には足るを知るを活用して、腹八分目に抑える。いけない恋愛のチャンスがあれば足るを知るを活用して不貞の恋愛はしないことにする。足るを知るは、悪い欲望に対して、十分に威力を発揮することを覚えた。

だが足るを知るは、いい欲望に対しても威力を発揮する。本人はこのままの生活で満足していなくとも、「このままの生活でいいではないか、足りないくらでいい」という。いやいや冗談じゃない。悪い欲望はそうでも、いい欲望はそうではない。足りないくらいどんどん求めればいい。

このように悪い欲望には「足るを知る」を発揮して、目標や願望などの向上心のある欲望に関しては、足りないくらいどんどん求めればいい。ありのままの生活で満足しなくていい。足りなければ、どんどん求めればいい。そこには刺激に満ち足りた生活がある。これを生き甲斐という。

人間生き甲斐がないと生きていけない。足るを知ったありのままの生活が生き甲斐ならそれはそれでいい。その生活が不満足で生き甲斐を見出せないのなら、足るを知ったありのままの生活から抜け出して、向上心と活力のある正しい欲望へとチャレンジすればいい。




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No title

平凡な生き方は確かにつまらない。悪い欲望と刺激が強い日々は非現実に酔いしれてダメだと分かっていてもやめられない。理性がおかしくなる・・・・でもその時は生きている実感があった。毎日毎日が生きがいでした。でも長くは続かない。壊れそうになった自分を救ったのは理性でした。そこから抜け出して足るを知った。でも虚しい・・・そんな気持ちの時の今回のブログ。
向上心と活力のある正しい欲望へとチャレンジ。何をどうすれば良いのか・・・
でももう向こう側には行きたくない。


足るを知ってしまうと芸術はどうなるか?

とても良い記事だったと思います。(上からで失礼致します。m(_ _)m)

足るを知る
私もこの言葉が好きで、日々の生活のあるがままの良さを噛み締める事が出来ます。

一方、私は音楽・芸術の世界で働いておりますが、こちらは足りない足りない足りない世界です。
男性ならば酒や女やある種の薬に溺れながら、己の才能と努力に悩みながら、人間関係でのたうちながら、、、芸術性をこれでもかと求め、見たことのないような素晴らしい音楽や芸術作品が出来上がったりする事があります。

お釈迦様がどう頑張ってもこの音楽は作れないよな、みたいな。(失礼m(_ _)m)
作者のもがきの末に完成された絵画にまるで一筋の光や悟りを見るような事や。

先生が日々対面される欲望の数々の蠢きの中から光さすような何かを生み出す為の欲望、と言うか。
泥の中の蓮と同じで。

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