せっかくいい答えを出しても、また振り出しに戻ってしまう。
本当にこの方向でいいのか?この考えでいいのか?と、また振り出しのネガティブな考えに戻ってしまう。
ネガティブな人は、いつも話が佳境に入る。
佳境とは、物語や演劇などが最も興味深いところに入ることをいう。そして、佳境は不安と心配事で押しつぶされそうな話ばかりが続く。
まるで、ベストセラーの小説にように、主人公は休まることなく困難な窮地に追い込まれ、そのたびに問題が勃発し、そこから逃げることなく、問題解決に向けて戦わなければならない。
いつになったら自分は幸せになれるの?いつ自分は楽になるの?終わることにない辛くて苦しい佳境に追い込まれる。それがネガティブ女子の恋愛なのかもしれない。
ネガティブ女子の佳境はなぜ続くのか?
それは優柔不断だから。
優柔不断の人はいつまで経っても佳境から脱出することができず、いつまでも佳境の中にいる。
終わった問題がまた復活する。
一度は解決した問題が、また振り出しに戻って未解決となる。
刑事ドラマのように真犯人が別のところにいることになる。未解決の事件は続く。佳境のままに。
見通しのつかないまま友達に助けを求める。友達はネガティブな佳境の話にもうウンザリ。「こんな男とは別れた方がいい」と突き放す。それによって佳境を抱えたネガティブ女子はまた悩むようになる。
私は佳境の話が嫌いか?
というとそうでもない。
正直いって佳境の話は興味がわく。よくもまあ、次から次へと問題が起こるものだと、半ば呆れながら関心さえしている。それから先は、さて…どうやってこの複雑な問題をいい方向に持っていけるのか?どうやって解決に持っていくのか?そこに頭を使うのが喜びとなっている。佳境の話を面白がる自分はちょっと変かもしれないね(笑)
しょうがない、これがこの仕事を選んだ自分の運命だと思っている。
なぜ人は佳境に入るのか?
そのことを私はよく知っている。
それが人生だからだ。
つまり、人生とは生きている限り悩みがつきもの。悩みが次から次へと起こるのは仕方がないこと。悩みのない人生はほんの一瞬にしか過ぎない。それは生まれたときと死ぬときだけ。生きている間は常になんだかんだと問題が起こるようになっている。人生は常に佳境に入る。それが生きている証。それが成長する証。そう思えば、佳境を克服する努力は楽しいものだとなる。
「人生は艱難辛苦」
艱難辛苦とは、非常に困難な状況やつらい思いをして苦しみ悩むこと意味する。
これが人生なら、どんなに面倒でも、どんなに難しいことでも、どんなに辛くて苦しいこともでも、受けて立つくらいの気持ちで前向きに取り込めばいい。
逆に考えれば、人生は佳境があるから楽しい。艱難辛苦があるから生きている価値がある。そう思って、自分の問題に取り組めばいいのではないでしょうか。
だから、ぐるんぐるんと考えるネガティブな考えはもうやめよう。失敗してもいいから、決めたひとつを実行してみよう。あとのことは考えずに、とにかくやってみることだ。
やっている最中に佳境に入るだろう。これをこのままやり続けていいのかと悩んだりもするだろう。しまいにはこれをやっても意味がないと放り出すかもしれない。やれば悩み、やめれば悩む…人間の心はワガママで贅沢にできている。
でもね、それでも続けること。
これから先は2つの人間しかない。
悩みながらも続けた人と悩んでやめた人。
この二人しかいない。
前者は人生の生きる価値を見つけた人。
後者は未だに生きる価値が見いだせない人。
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