人を好きなることは素晴らしいことだが、叶わぬ恋ほど悲しいものはない。
叶わぬ恋の理由はひとつしかない。
それは、「逃げた」という理由しかない。
あれだけの物語を作ったのに、最後は逃げてしまった。後味の悪い恋は、悲しい結末となる。
これはもう、終わったあと泣くしかない。
自分の欲望だけが先走り、責任を果てさなかった自分の恥を後悔をするしかない。別れて新生活をスタートさせたしても、脳裏に浮かぶのは「逃げた」という恥の上塗りしかない。
なぜ、あのときは自分はあの子のことを好きなったのだろう。あのときアプローチしなければ、あのとき手を出さなければ、あのとき愛し合わなければ、彼女も僕も他人のままでいられた。
他人なら、こんな辛い思いをしなくて済んだ。お互いが別々の人生を歩み、それぞれが別の幸せを掴んでいたはずだ。
変な直観がピンときて魔がさしてしまった。直観とは恐ろしいもので、このままズルズルと恋の罠にハマってしまった。
彼女は僕の理想的な女性だった。顔も性格も好みだった。一緒にいるだけでトキメキを感じた。自分が求めている理想がそこにあった。
だが、自分はその恋愛に責任を取れる状態ではなかった。
男性が責任を取れない理由は2つある。
1,経済的理由。
学生で収入がない。社会人ではあるが、年収が低い。親からの援助で資格試験を目指している。などのお金がない理由。
2,道徳違反。
既婚者の不倫、浮気などの不貞行為。
お金がなく道徳に違反した恋愛は責任が取れない。責任が取れない以上、どんなに愛し合った仲でも、いずれ終わりが来る。最終的には恥の外聞である「逃げ」によって終わる。
逃げた恋愛はいつまでも後悔が残り、いつまでも未練が残る。
男性が逃げれば女性が追いかける。
なぜか、女性は無責任な男ほど追いかける。
無責任な男は思わせぶりな言葉を発するからだ。
君のことが好きだけど、・・・もごもごと、思わせぶりな言葉を発する。
「君のことが好きだけど、今は会いたくない」「君のことが好きだけど、今は仕事に専念したい」「君のことが好きだけど、今は君の気持ちに答えられない」というような、君のことが好きだけど、今は何々できないという言葉を発する。
さすが、無責任だ。終わることも責任逃れする。
はっきりと「君のことが嫌いになった終わりにしよう」という言葉をいえない。
女性には、「君のことが好きだけど、もごもご」という言葉は通じない。「君のことが好きだ」という言葉のみが重要で、あとはどうでもよくなる。男性は後の言葉の方が大事なのだが、女性は君ことが好きだけどという最初の言葉だけを大事する。
好きなら別れる必要がない。これが女性の基本となっているからです。
責任が取れないなら。
「君のことが嫌いになった」の一言でいい。「君のことが好きだけど」という変な言葉をつけず、「君のことが嫌いになった」でいい。
せめて、終わるときは男らしく。
はっきりと「嫌いだから、別れよう」というべきである。とても残酷な言葉ですが、女性に期待を持たせるよりいいのです。最後ははっきりと嫌いになって終わってください。ええかっこした下手な優しさはいりません。
最後に男性への忠告。
責任が取れないなら恋愛などするな!
欲望は抑えろ。欲望の抑えができていないから、無責任な恋愛に突っ走ってしまう。もうこれ以上、自分の無責任さで被害にあう女性を増やさないように。
男性自身も、悲しい思いをしたくなかったら、無責任な恋愛はしないことだね。
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大人の自由とは責任。
コインの面裏と同じ。コインが欲しければ必ず裏側もついてくる。
自由が欲しければその自由に見合った責任もついてくる。
それをわかってない人が多いように思う。自由に任せた状況こそ、人間の資質が露呈される。 自由とは自由だけど、自由だから生き方が問われる。落ちるのも自由。落ちたら落ちた人間が集まる自由社会がそこにはある。 自由に甘えるのはとても怖い事。
自由恋愛。恋愛とは常識や責任感を持った人間がするもの。
自由だからといって、子供のように遊んだおもちゃを片付けない大人は自由に任させてはいけない。相手を傷つけるからだ。
自由に漬け込んで荒らす人間は、規範を超えたら社会的相当な責任が追及される。
恋愛においては、パートナーが保護者になれば関係成立する。甘えきった関係で存在できる、保護される者。
その人は人生を台無しにする。
なぜなら女性としての自信を無くすから。
恋愛においては卑怯者や恋愛詐欺犯とも言う。自分に堕落した人間は自分に堕落した人間に保護者を委任して、自分に相応しい場所で花を咲かせたいものです。