ホーム > 感情をコントロールする > 疑うより信じること、怨むより祝福すること、愛されるより愛すること。
彼に浮気疑惑がある。

疑うより信じること。

彼が私を振って他の女性と付き合った。

怨むより祝福すること。

彼の愛情が感じられない。

愛されるより愛すること。


聖人君子ではあるまいし、そんなことできません。なんでそこまで自分を犠牲にしなくてはならい。「ふざけるな!」と言いたくなる気持ちも分かります。では、怒って良くなるかというと、良くはなりません。愛には自己犠牲も必要だからです。

自己犠牲・・・?

「愛は自己犠牲の上に成り立っている」

最近、そう感じている自分がいる。いいじゃないかな、愛は自己犠牲で、その方が面倒がなくていいという考えを持っている自分がいる。

自己犠牲をなんとも思わないこと。

自己犠牲をなんとも思わなくなれば、豊かになれる。自己犠牲をなんとも思わなくなれば、心は傷つかず、体は健康となり、心身ともに豊かになれる。そんな気がするんだよね。

開き直りか?うん、開き直り。

バカか?うん、バカ。

相手の犠牲になることをなんとも思わないのか、うんなんとも思わない。

相手がそれで幸せなら、自分はそれでいい。

わたしにはそんなことはできない。うん、そうだろうな。

わたしは、相手に浮気疑惑があれば徹底的に調査する。探偵になって、CIAになって、調べ上げて証拠を掴んで懲らしめてやる。うん、そうだろうな。

相手がわたしを裏切って他の女と付き合ったらタダではおかない。それこそ1000年怨み倒してやる。うん、そうだろうな。

相手からの愛情が感じなければ、わたしも冷めてしまう。なんで、わたしばかり愛さなければいけないの?これじゃ都合のいい女じゃん、そんなの許せない。うん、そうだろうな。

こうやって文章にまとめると、恐ろしいね。

よくこんな恋愛ができますね。

つい、「ご苦労様」といってしまう自分がいます。

皆さん大変ですね。


これらの苦しみ、悲しみ、痛みなどの恐怖渦巻く艱難辛苦を解決する方法があるとすると、自分が犠牲になることをなんとも思わない心です。

彼に浮気疑惑がある、疑うより信じること。彼が私を振って他の女性と付き合った、怨むより祝福すること。彼の愛情が感じられない、愛されるより愛すること。このように自分が犠牲になることをなんとも思わなければ、問題はすべて解決します。

自己犠牲になることをなんとも思わなければ。

疑いがある人は消えます。
浮気をする人は消えます。
愛情がない人は消えます。

悪いものは消えて、最後に信頼できる人のみが残ります。

自己犠牲をなんとも思わない心ができれば、最後は完成形の恋愛ができるということです。


「愛は自己犠牲の上に成り立っている」

その意味が理解できるまで何十年もかかるかもしれない。あるいは、一生かかっても理解ができないかもしれない。でも、理解できれば、今までの面倒な苦しみがなくなります。





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コメント

相手の事を本当に愛しければこの思考になりますね。端から見たら騙されてるんじゃないの?とか言われて揺らぐこともしばしば。
でも、この思考は間違っていないと確信できて良かったです。先生ありがとう!

先生のブログを見つけてから、本当に気持ちが楽になりました。
まだまだ揺らぐ事もありますが、その時は先生のブログを読み、安定を頂いてます。
本当に感謝しかありません。ありがとうございます。

No title

皆様の心の安定を願っています。

昨日、何故か同じコメントを2回も送っていました。ごめんなさい(T_T)

今日の先生のブログの内容、まさに私が昨日考えていたことです。
今まで、自分が自己犠牲になってバカだなぁと。
でも、それでいいじゃないかと言う先生の
言葉で、それでいいんだ、それでいっか!
と思わせて頂きました。

やっぱり先生、私のこと見てた (^o^)

辛く苦しい恋愛ストーリーですね。
ご本人にしてみれば死活問題です。

いつの日か、その出会いに意味を見出して、目の前が明るくなり未来に希望が持てると良いと思います。


深いですね

こんばんは。

先生のブログで度々拝見する自己犠牲ってなんぞや?とずっと思ってました。
自分が傷つきたくない一心で相手を傷つけるような事を言ってしまったり、疑ったり…
それは最早、愛ではないですね。
彼の事を思ってると思い込んで、実は自己保身の塊でした。
いつも気付きを頂き、ありがとうございます。
理解しても、また繰り返す。
ここをクリアするには、まだまだ自分の中を内観する必要がありそうです。

またここへ

戻ってきました。

今日、私は彼を疑いました。
一緒にいる時に依存症の方から彼のプライベートの携帯に電話がかかってきました。
嫉妬というよりは、プロとしての彼の軽率さを疑いました。
私は何も言いませんでした。
それだけでも成長なのかな…

何ひとつ理解出来ていないようです。
信じることは何故こんなにも難しいのでしょう。
色々な妄想で心の鏡が汚れ、彼が見えなくなります。

先生のブログを読み、
彼なりの何か理由があっての行動だろう、
仕事のことに口を出してはいけないと考えました。

ありがとうございます。

ずっと考えているのですが

自己犠牲をなんとも思わない心

というのは、文章にする為に自己犠牲と表現されているだけですか?
客観的に見れば犠牲になっているが、自分が犠牲になったとは思っていないということですか?
犠牲になったと感じているけれど、許しているということですか?

私はまだまだでした

彼が昔の同期で仲良しの女性を仕事のパートナーとしてそばに置くことになりました。

私は、いずれ彼にとってその女性が無くてはならない存在になるのではないかと強い不安に負け、彼にその女性とブライベートまで一緒に過ごすのは嫌だと素直に伝えました。

彼の中でその女性は、男友達のような存在のようで、そんな仲じゃないよと言ってくれましたが…

先生の記事を何度も読んで学んだつもりですが、まだまだ自己犠牲を恐れ、自己防衛に必死になってしまいます。
彼は私を裏切るようなことはしない人なので、私自身の心の試練ですね。

近いうち先生のところに、心の扱い方の相談に伺わせていただきたいと思います。

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