ホーム > 自信のつけ方 > 信念には善い信念と悪い信念があります。
信念とは、人の今の心と書きます。

信念を下から読むと、念→信、今の心を信じると読みます。

今、自分が思っている心が信念となるわけです。

今、あなたは何を思っているのですか?

ネガティブで、後向きなことを思っているのですか?

ポジティブで、前向きなことを思っているのですか?

あなたが思っていることが、今の心となって現れ、それがやがて実現します。実現するまで少々時間がかかります。良いことも悪いことも、すぐには実現しません。半年後、1年後に実現するでしょう。

信念にも短期・中期・長期とあります。

短気は数日から数週間。

中期は半年から1年。

長期は5年、10年単位となります。

長期は自己実現の目標となりますが、短期・中期は日頃の生活に大きく関わってきます。

日常生活の仕事とか恋愛は、短期・中期に区別されるでしょう。

仕事にやる気がなくてサボった。1日くらいなら問題ないのですが、それが1週間、1ヵ月と続くと問題が出てきます。やる気がない状態が半年も続けば、解雇されるのは間違いありません。その前に手を打たないといけないですね。

信念にも善い信念と悪い信念があります。人間は善悪の信念を同居させているのです。悪の信念が1日続けば、明日から善の信念を取り戻すことです。悪から善に切り替える、人間ならそれができます。出来ない人は、甘えているからです。自分を甘えかさず、悪から善の信念に切り替えてください。

恋愛にも同じことがいえます。彼との関係が悪くなった。喧嘩をして音信不通となった。彼のサービスが低下した。連絡も寄こさないし、会おうともしない。彼は冷めたのか?もう私のことを嫌いになったのか?他に好きな人ができたのか?頭の中はモヤモヤだらけの苦悩が続く。

そこで、今何を思うか?
彼を信じる善の信念か?彼を疑う悪の信念か?今のあなたの心は何を思っていますか?思ったことが数週間、数か月、半年と続けば、それが実現します。

昨日までは最悪なことを考えていました。でも今日は最良のことを考えることにします。でも・・・明日になれば分かりません。明日は最悪なことを考えているかも・・・。

このように人間が持っている「善・悪」の信念は行ったり来たりします。頭では最良のことを考えるべきだと分かっているのですが、でも感情がついていかない。あるいは彼を信じても裏切られる場合もある。裏切られたときのショックに耐えられるために最悪なことを考えるべき。いやいや違う、たとえ裏切られても彼を信じるべき。

ああ、どっちなの混乱しちゃうわ。人間の心は錯綜(さくそう)物事が複雑に入り交じって混乱してしまうわけです。

カオス(混乱)になるとよくなりません。なるべくカオスにならないよう、自分の心を制御することです。

善と悪の信念、どちらがいいですか?

こうして単純に質問すると、それは善ですよね。

では、善に切り替えてください。

すぐにです。

仕事がカオス状態になって、サボってやる気がないとします。1日くらいいいかなと思わずに、すぐに切り替えてください。午前中はやる気がなかったが、午後からやる気が出てきた。このくらいの切り替えの早さが望ましいですね。人生うまくいく方法は、短時間で信念を悪から善に切り替えることです。

恋愛にも同じことがいえます。午前中疑っていたら、午後からは信じることです。そして明日も信じることです。さらに彼との関係がうまくいっていないのなら、今は仕事に頑張りましょう。恋愛がうまくいっていなければ、他でうまくいく努力をすることです。

人間には善と悪の信念があります。

そして、人間は善と悪を行ったり来たりします。

悪の信念の時間が長ければ最悪な人生となり、善の信念の時間が長ければ最良の人生となります。あなたはどちらを今思うかです。




あなたに希望を与える沖川の電子書籍。

31sIBKtablL.jpg

新作はこちらをクリックしてください。

まずは試し読みから。


最新の予約の空き状況はこちら


関連記事

コメント

疑うこと

今の彼との前はダブル不倫でした。
たくさん学んだものの、
どんなに幸せな時でも心の何処かでいつも疑っていたように思います。

人を疑う心は癖になる。
信じた方がずっとずっと楽で自分にとっても利なのにも関わらず、疑う方が簡単で趣味なのか?というほどに、心の癖になるように感じます。

今の彼の少年のような笑顔に、自分の心のドロドロさを感じました。

善の信念へと日々先生のブログのおかげでトレーニングを積んでいます。
疑う性格、潜在意識の修正中です。

いつもありがとうございます。

奥深い…

信念の意味合いを逆から読むのは、まさに目から鱗でした。 

自分の場合、信念とは比較的短期集中でなにかを成し遂げたい時の燃料のように考えてましたけど、先生の仰ることを今一度取り込んでみようかと。

現実と非現実の狭間にある物語は深い

信じるとは

なんでしょう?

信じるとは?とググると疑わないことと出ます。

信じるとは心のフィルターや妄想が一切ない
その人のありのままを受け容れることでしょうか?
そして、その信念は自己犠牲を何とも思わない心へと繋がっていく

先生の信じるドラマが観たいです。
主役はわたし。

高橋様

いつも素敵なコメントありがとうございます。

興味深いコメントでしたのでお尋ねします。

高橋さんは、相手の方に自己犠牲をしながら高橋さんのありのままを受け入れてもらう事を望みますか?
また、気付かないところで自己犠牲をしていたことを知ったらどのような気持ちになりますか?

差し支えなければご回答お願いします。

失礼します

もも様

自己犠牲を何とも思わない心について、相当考えました。
そこの境地になるとはどういうことなのか?想像力をはたらかせました。
そもそも、文章にして伝えるために自己犠牲という言葉で表現しているだけで、犠牲になることを何とも思わないのです。

今の彼ならどうするだろう?と考えたところ、彼も先生のように自分のことよりも私の幸せを最優先に考えるでしょう。自分が犠牲になることに執着せず、意図も簡単に私を尊重するでしょう。
私もそういう風でありたいと思います。

彼に自分を犠牲にしてまで、私を受け容れてほしいとは思いません。なので、彼が苦しむような犠牲を強いるようなことは決してしません。

自分の知らないところで自分が犠牲になっていたとしても、それで彼が幸せであるならいいと思います。彼には彼の都合や意思があるのでしょう。
今は彼は私を悲しませるようなことは決してしません。自分を100%信じてる私を裏切れません。
私が信じないでどうする?ということです。

しかし、人の心は無常。
どんな時でも自分のことより彼の幸せを最優先に考えられる私で在りたいです。
そう思える彼に出会えたから。

なんの参考にもならないと思いますが、こんな感じです。

というのも

彼は心を扱うプロフェッショナルだからです。

しかし、私はまだまだです。
彼はずっとずっと崇高なところにいます。
全てが自然体です。
それは、まるで汚れを知らない少年のようです。
そこに少しでも近づきたく、しつこくコメントさせて頂きながら、先生にご迷惑かけてしまっていますが、日々トレーニング中です。

先生ありがとうございます。

高橋 様

お考えをお聞かせ頂きありがとうございました。自己犠牲、難しいテーマですね。

わたしはお互いにできるだけ犠牲にならずに寄り添える事を望みますが、今後も多様な考え方を参考にさせて頂きたいと思います。勉強になりました。ありがとうございました。

というのも

彼は心を扱うプロフェッショナルだからです。

しかし、私はまだまだです。
彼はずっとずっと崇高なところにいます。
全てが自然体です。
それは、まるで汚れを知らない少年のようです。
そこに少しでも近づきたく、しつこくコメントさせて頂きながら、先生にご迷惑かけてしまっていますが、日々トレーニング中です。

先生ありがとうございます。

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する