ホーム > 人間関係 > 類は友を呼ぶ、私たちは自分と似た者を友人に選ぶ傾向がある。
類は友を呼ぶ。

弱い人は弱い人を選び、貧乏人は貧乏人を選び、金持ちは金持を選び、ネガティブな人はネガティブな人を選び、明るい人は明かる人を選ぶ。

人は基本的に自分に備わっているものを基準にして、仕事や友人、趣味や遊び、自分が読む本まで、選んでいるのです。

この仕事は自分の経験上ぴったりだ。この友人は自分と性格がよく似ている。この趣味は自分の好みと一致している。この本は自分が求めていた学問を教えてくれる。など、人は自分の基準に従って選んでいます。

その基準はどこから来ているのか?

基本の原点は、育った環境です。

貧乏で悲惨な家庭環境で育ったのなら、同じ境遇の相手を選び、裕福で幸福な家庭環境に育ったのなら、同じ境遇の相手を選ぶということです。

また、躾にも影響されます。

親があまりにも厳しいと子供の人格形成に大きな影響を与えます。

オマエは頭が悪い、バカだ、悪い子だ、うじうじするのやめなさいと叱ってばかりいる親がいます。親はそれが正しいと思っているかもしれませんが、子供を褒めることを忘れた親の元で育った子は、社会に出ても自信がなく、何かにつけて自分を虐待する自虐的な性格となります。

また教師も、あなたの子供は協調性がないとか、成績が悪いとか、面談において親に伝えたりしています。

そうすると、この子は人間失格という評価が子供のときに下されるわけです。親や教師は子供の可能性を小さい時から摘み取っていることになります。

これらの言葉が、子供の人格形成にどのような影響を与えるかも考えずに、親は教師は感情に任せた批判をしています。私たちは、誰もがそような経験を子供のときにしているのです。

そして、人は成長するにつれ、自分と似た者を友人に選ぶようになります。

繰り返しになりますが、弱い人は弱い人を選び、貧乏人は貧乏人を選び、金持ちは金持を選び、ネガティブな人はネガティブな人を選び、明るい人は明かる人を選ぶという似た者を選ぶ、形成が出来上がります。それらの多くは、小さい頃の教育や躾け、家庭環境に大きく影響されます。


さて、問題はここから。

私たちは誰もが、親や教師の感情的な批判によって育った経験があります。世間にいる親や教師もできた人間ではなく親失格、教師失格の未熟者です。器の大きな親や教師はそうそういません。運悪く、悪い親や教師に当たるのは、子供にはどうすることもできません。子供は親や教師を選ぶことができないからです。

でも、それは子供の頃までのこと。

20歳を過ぎれれば、検証することです。自分はたまたま悪い環境で育ち、悪い親や悪い教師に当たったと検証することです。検証できれば、悪い親や悪い教師を反面教師として扱うことができます。

20歳を過ぎて、いつまでも家庭環境が悪かった。学校の教育が悪かった。自分の生い立ちは運が悪かった。だから、自分はいまこうして運が悪いんだ・・・などと決して言わないことです。過去を引きずれば、そこで成長は終わりです。子供頃の経験は子供頃の経験で、大人になればそれを学習した新たな経験が待っています。ですから、いつまでも過去の生い立ちの悪かった精神世界にいつまでもいないことです。

悪かった生い立ちを反面教師にするのです。悪かった家庭環境をバネにして、自分はあんな酷い家庭環境は作らないと誓うことです。

人間は一生勉強です。子供頃の経験や勉強がすべてではありません。大学まで行ったからといってここで勉強が終了したわけではありません。はっきりいってそんなもの社会では何の役にも立ちません。どんな優秀な大学を出ても、10年経てばただの人になるだけです。社会人になってから、本格的な勉強が始まるのです。

子供のままの精神力なら悪い仲間を呼び寄せるでしょう。だが、大人の勉強を積んで考え方を変えていけば、正しい仲間を引き寄ることができます。愛情のある豊かな家庭も作ることことができます。人間は一生勉強です。ですから、いつまでも過去の家庭環境のせいにしないでください。

人間は変わる勇気を持つ。これが大人の勉強となります。



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コメント

許すこと

私の母親の選択で大きく人生が変わってしまいました。それを許せずにいます。
許すとはどういうことなのか?
まだ私には分かっていません。

ただ許しても許さなくても、
人生は流れていきます。
無知な若い頃よりも、少し賢くなった今の方が許せない気持ちが強いです。
反面教師にしながらも、似てる面が多いことにも気付かされます。

仕方がなかったんだと理解はしている、
母親のせいにするのは違うと知りながら、
母親のせいにしている自分を受け入れています。

許すとは、どういうことでしょう?

自分と似た人を選ぶということは、一緒にいて楽だからですよね?

否定されることもなく、同じような思考だから…

過去を反面教師にできずにいる人は今後、
成長もないということなのだと思います。

それは、つまらない人間になりそうで嫌ですね。

ふと思い出したのが、沖川先生の過去のブログの「最高の自分磨き」シリーズ。

復縁を題材にしてましたけど、ここでも応用が利くのかな?と。
まだ許すには遠いですけど、沖川先生の御言葉です、身に染み込ませて取り入れます。

日本人特有ですね。類は友を呼ぶって正に日本的な考え方。
欧米や世界では、全く意見の違う人とも普通に会話をする。普通に友人として付き合える。日常的に議論が出来る。
私はこう思う、こう考えているけど、あなたはどう思う?と。
お互いが相手の意見を尊重できるからこそ、議論は出来るのですが。
日本人は意見の違う人間嫌う。否定する。論破することに必死。最終的にお互い感情的になり大喧嘩。笑
もしくは、意見を言われただけで、考えを押し付けられていると勘違いして黙ったり、あなたって自分が正しいと思ってるよね(笑)などと、嫌味を言う。笑
私も根っからの日本人ですが、この件に関してだけは、欧米的考えが好きですね。
私はこれがいいと思う、なぜならばこうだから。
あなたはどう思う?って。
人間関係、恋愛は特に、それの積み重ねが必須なんじゃないかなと。
もちろんお互い譲れなくて、たまには喧嘩にもなると思いますけどね。そしたらセカンドベストを二人で決めればいいわけで。
意見を言い通そう!とか、言い負かそう!とか、責めているわけではないんですけどね。
日本人ってきっと苦手な方が多いんですよね。
自分の意見を言って通らなかったら恥だとか、
"みんな"と意見が違うと変わり者と思われるだとか、
そっちの思考になっちゃうんですよね。
私も職場や友人関係においては、長いものに巻かれろタイプですし、黙って聞いて、いい意見があれば、それいいですね!と乗っかるだけ。みんなと違う考えの自分の意見を言ったり、否定はなるべくしないようにしています。笑
けど恋愛だけは、話し合いができない、議論ができない相手って、ストレスの塊だと思います。笑
心から相手の意見に100%賛成する、それが毎回。
そんな人なんていませんからね。笑
類は友を呼ぶ。確かに根っこの部分で近しい人でなければ付き合わないかもしれませんが、全然違うタイプでもお互いを尊重しあえるような関係が、私は理想です。

類は友を呼ぶ 異類は友を呼ぶ

自分と同じ人は世界に一人もいないので、他人に対して尊重したり寄り添う姿勢は大切だと思います。
違うタイプであっても自分を尊重され寄り添ってもらえると心を許せます。

例えば、主食が米とパンの2人では、否定せず尊重する事や世界が広がる事で良い関係性となります。

米派の2人なら、米について違う意見を尊重したり、また、品種や調理の仕方などを共感が深まります。

類は友を呼ぶ。
尊重や寄り添う関係の入り口であり、出口なのかなと思います。

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