休みの日は好きなことを書きます。
人間には自由意志があり、好きな生き方を選択することができます。
勤勉に生きることもできれば、怠惰に生きることもできます。どんな生き方をするのかは本人の自由です。
私たちは自由な選択肢を与えられたときは、たいてい楽な方を選びます。
私もそうです。どちらか好きな方を選べと言われたら、安全で楽な方を選びます。努力しないといっているわけではないですよ、無理しない程度に安全で楽な方を選びたいだけです。
安全地帯が好きなのですね。「そうです、安全地帯が好きなのです」できれば、このまま安全で楽に末永く生きたいですね。
ところが、世間は働き者には微笑みを与え、ものぐさで本気に努力しない人には涙を与えます。
そうきたか・・・。
ならば、頑張るしかありません。努力しながら勤勉に働くしかありません。
できれば遊びほうけて、惰眠をむさぼり、お花畑の頭で暮らしたのですが、世間はそれを認めないようです。
できれば、神様がなんとしてくれるだろう。誰かが助けてくれるだろうと思うのですが、誰も助けてくれません。
空想や妄想にふけっているだけではダメなんですね。せっかく居心地のいい安全地帯だったのに、長くいることはできませんでした。
でもね、ときどきいますよ私は安全地帯に。何もしないでボーっと生きている瞬間は、それはそれで幸せだからです。小さな安らぎを与えられた気分になります。この気分がまたいい。
若い時は休みを与えず突っ走ったこともありますが、さすがにこの年齢になると、もう突っ走ることはできません。ときどきは休んで、ときどきやることはやる、それでいいと思っています。
選択肢はこうだと決めずに幅を持たせること。その生き方に今は賛同しています。(自分で決めたのですがね)
人間には自由意志があります。勤勉に生きることもできれば、怠惰に生きることもできる。それなら両方選べばいいのです。私は両方選ぶことにしました。
あるときは勤勉に生き、あるときは怠惰に生きる。あるときは冒険して、あるときは安全地帯にいる。両方のバランスをうまく使いこなしながら上手に生きる。これができたら最高だと思っています。
勤勉だけでは疲れ、怠惰だけでも疲れる。チャレンジだけでも疲れるし、安全地帯だけでも疲れる。瞬間・瞬間に感じた心の赴くままに、どれがベストか?いま自分がやるべきことはなにか?直観に従ってどちらかを選択すればいいのです。
一番いのは先の不安を持たないことです。遊んで怠惰に生きて不安を感じるのなら勤勉に働けばいいし、勤勉に働いて頭と体を酷使しているなと不安を感じるのなら休めばいい。そのときどきの自分の直観に従えばいいのです。
あまり不安を持たないことですね。サボったら不安になるとか、体を酷使してまでは働くのも不安があるとか、そんな不安は持たないことです。
「大丈夫なんとかなる」お花畑の頭でそれを言っているのではありません。事実に基づた経験で言っているのです。勤勉に生きる、怠惰に生きる、どちらかに偏るのではなく、両方取り入れてバランスよく生きる。そうやって生きている人間は、皆さんなんとかなっています。
「大丈夫なんとかなる」これで不安がなくなりますよね。不安がなくなるのがいちばんですよ。
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他人の目をまったく気にしないのは現実的ではありませんが、自分の言動を他人の目という批判を気にして行動することは、自分の人生を他人に委ねているようなものですね。
人生もったいないと思います。
因果応報と言う他人の評価。
評価する方が自分の人生に自信がないために、そのような評価をするのかもしれません。
ざまぁみろ、ほらみたことか、
自分の正しさに隠れた自信の無さや嫉妬が原因かもしれませんが、他人の人生は自分の人生に自信をつけてくれないと思います。
他人は他人、自分は自分。
団塊の世代の時代は、みんなと同じが価値観でしたが、現代は
他人と自分の価値観が違い人生も違うことが理解され尊重する時代になりました。
良いことだと思います。