どんな動きかというと、とても常識では考えられない動き。周りから「やめておけ」という変な人を好きになっている。変な人が女性の気持ちを虜にしている場面に遭遇するたび、私はなんともいえない複雑な気持ちになる。
複雑な気持ちとは、方や「やめておけ」という気持ちと方や「応援したい」という気持ち。やめておけという気持ちは理解できるが、応援したいという気持ちは理解できないと、普通に考えればそうかもしれない。
しかし、愛は一般論で考えない方がいい。愛は支えるという自己犠牲の上に成り立っていることもある。変わり者は誰かが面倒をみなければならないこともある。放っておけば彼らはまともな人生を送れずに不幸になる。下手をすれば死に至ることもある。「それじゃ可哀そうだから」私がなんとかしてやろうという気持ちで愛情を注ぐこともある。
これって母性愛か?
おそらくそうでしょう。これは母性愛だと思う。
男性には母性愛がないから、変わり者の女性をあまり好きにならない。非常識でワガママでヒステリックな女性を好んで好きになる男性はほとんどいない。仕事もできず、遊び惚けて怠惰怠慢に怠けている女性など目も合わさない。男性が選ぶ女性は可憐で誠実な女性。礼儀正しく常識と分別をわきまえている女性を伴侶として迎えようとする。
ところが、、女性は常識とかけ離れた男性を好きになることがある。男性にはとても理解できないパートナーを選ぶ傾向がある。これを常識だ非常識だという論評で片付けるのではなく、女性の愛は男性の倍の能力があると判断した方が正解だと思う。
男性のような選び方をしたら、落ちこぼれがいっぱい出て世の中が不幸になる。倍の能力を持つ女性は落ちこぼれがないようにまんべんなく公平に愛を提供していると判断した方が正解だと思う。
女性はダメ男を選ぶが男性はダメ女を選ばない。女性はメンタルの弱い男にも愛情を注ぐが、男性はメンタルの弱い女は冷たく突き放す。
競争社会で戦いを余儀なくされている男性は、競争社会で勝ち抜く術が性格となって現れている。それに対して女性は競争で勝ち抜くよりも、みんなが無事で、平等に助け合って平和に暮らせることを望む。
そう考えると、母性愛は女神かもしれない。男性たちは落ちこぼれを切り捨てるが、女性たちは落ちこぼれを救う助け合う精神が根付いている。これこそまさに女神だ。
私がこの仕事をしないで男バリバリの生き方をしていたら、おそらく気が付かなかっただろう。なんでこんな非常識で変わり者の男を好きなるのと反対していたと思う。でも、いまは「やめておけ」という気持ちと「応援したい」という気持ちがある。
男女の間に入って両方の気持ちが分かるようになったから、おそらくそのような気持ちを持つようになったのだろう。
人間ってみんながまともでみんなが常識があるわけではない。奇人変人もいて、ダメ人間もいて、非常識で変わり者の人もいる。でも、それは世間一般から見る目で、彼らからすれば、非常識でも変わり者でもない。彼らは彼らなりに生きている。それを女性たちは認めているのではないだろうか。
また変わり者もそういう女性がいるから救われている。女性がいなかったら、彼らは愛というものを知らずにこの世を去った。変わり者を好きなる女性がいてこそ、彼らは救われたのである。
だが、変わり者はルラブルを起こす。常識では考えられないトラブルを起こす。そこから先は私の仕事だが、トラブルの解決はホント骨が折れる。女神の気持ちに寄り添って応援したい気持ちもあるが、トラブルの内容によっては「やめておけ」という気持ちにも当然なる。最終的には原理原則に従った客観的な判断が正しい判断になると思う。
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