多くの場合、人間の能力の発揮を妨げているのは、くだらない欲望や目先の利害や怠けている心である。
そうした妨害要因を取り除き、自分自身の能力を把握し、己に得意分野を見つけ出すことが肝要である。
では、どうすれば自己発見ができるか?
「道を究めるには他人から教わるだけでなく、自分からその方法を会得しようという気概がなければならない」
以上宮本武蔵の五輪書を引用。
自分自身で会得する以外に方法はないと武蔵はいう。これほど徹底して自分を孤独に置き、自己啓発だけが唯一の頼りと突き詰めた論理も珍しい。
しかし、現代人はそこまで孤独に強くない。また孤独になれない。たとえ孤独になろうにも、よほど精神力が強くないと無理。現代ほど情報の氾濫している時代はなく、学校教育も昔より長くなっている。武蔵の時代は学校教育も情報の交流もほとんどなかった。学問をしようにも独学で書物を読むしか方法はなかった。またその時代だからこそ、武蔵は比較的容易に自分を孤独な状態に置くことができた。これが武蔵が生きた時代と現代との決定的な相違点である。
武蔵から何を学ぶべきか。
今日のような情報氾濫時代においては、世界の情勢も家にいながら手にとるようにわかる。だが、ときには情報から離れて、自分自身を孤独な状態に置き、自分自身を見つめ直すことが大切だということです。
自分自身を社会から切り離して、自分ひとりの時間を作って楽しむ。古典を読んだり、書物を書いたり、芸術を観賞したり、自然の草花を眺めたり、情報氾濫の喧噪の世界から一歩離れて自分自身を見つめ直してみる。
「静かなる心」を養うこと。
現代人は忙し過ぎて静かなる心が養われていない。あくせくとこれでもかこれでもかと追いまくられている。ときには喧騒から離れて、孤独になって「静かなる心」を養うことも肝要です。
静かなる心を養うには宇宙と一体することですね。宇宙とは広大な大銀河ではなく、自分の心の中にある宇宙です。心を広げるには喧噪の中で動いているだけでは広がりません。喧噪の中ではかえって心は委縮してしまいます。ときには行動を止めて静かなる自分の時間を持つことです。
なぜ、静かなる時間が必要か?それは、「動」と「静」がうまく噛み合えば、「鬼に金棒」となるからです。行動だけではダメ。考えているだけではダメ。静かにじっくりと考えたものを行動に移すから鬼と金棒になるのです。静かに待機している状態は次のステップの準備です。そのために喧騒から離れて自分の時間を作ることです。
「道を究めるには他人から教わるだけでなく、自分からその方法を会得しようという気概がなければなりません。会得するためには孤独に強くならなければなりません。この静かなる孤独の時間こそが、道を究める方法を会得する時間なのです。たまには動き回らず、じっくりと自分を孤独に置き、自分だけが唯一の頼りと突き詰めることですね。
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体に入れるモノ、つけるモノ、頭の中を駆け回る妄想たち…それをすることの理由をよく考えることをしています。
そうすると、ホンモノを感じる能力に長けてくるような気がします。
情報に溢れていてとても便利なようで、実は必要のないものばかりです。
それどころかくだらない欲望を加速させる要因にもなります。
ひとつひとつホンモノを見極めて、解放する作業をしています。