相手の怪しい動きと相手の嘘に対しての私の対応は、冷静に客観的に判断します。そして罪を憎んで人を憎みません。バカなことをやっているなと思うだけです。あとは、この人は幼いんだねと見るだけです。
相手が女グセの悪い男かもしれません。相手が自分の欲求を制御できない男かもしれません。
でもね、そんなことはどうでもいいのです。そんなことで潰されてしまう自分には絶対なりたくない。ただ、それだけです。
愛情を感情で見るのではなく、冷静に客観視する。これが優れた愛情となります。私はこれを遵守するだけです。
客観視した愛情がこの人をやめなさいと判断するのなら、やめにします。やめることになんの拘りもありません。私の心は人一倍強いから平気でそれができます。
また客観視した愛情がもう少しこの男の面倒をみなさいと判断するのなら、面倒をみます。面倒をみなさいというのは、その人に未来の可能性があるからです。私の心は人一倍強いから平気でそれができます。
相手の怪しい動きと相手の嘘に対しての私の考えは?どうでもいいということです。
相手の怪しい動きや悪さはいずれ相手に天罰が下ります。天罰が下ればそれまでだし、天罰が下る前に改心すれば、よく改心したと褒めるだけです。
これが私の考え方となります。
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今の私では、私のモヤモヤを消してよ!とばかりに相手を責めてしまうでしょう。
信じてたのに…と。
けれど、それは信じていたのではなく、勝手なこうあって欲しいという期待に過ぎませんね。
それは感情で判断しているということですよね?
相手が自分の期待に反したから苛立っているに過ぎませんね。
信じるとは相手のありのままをジャッジすることなく受け入れることなのでしょう。
こんな一面もあったんだと許し受け入れられるなら続ければいいし、許せなくて受け入れられないのなら手放せばいい。
実はとてもシンプルなことなのでしょう。
付き合っているともっと些細なことでも期待と違う現象がおこります。
私はメソメソ攻撃で彼に訴えてしまいました。
事の大小はあれど、期待通りに動かない相手に苛立つという根本は同じように感じています。
信じる心の強さがまだまだです。
せめて、相手を責めないという段階までは成長したいものです。