なに不自由なく暮らし寝食に困らない生活より、必要に迫られて一生懸命働き、質素な生活を送る方が好ましい。かなり苦しい境遇から人生が始まれば、それだけ労働意欲はかきたてられる。その意味で、貧困は人生における成功の必須条件となる。
裕福な家庭で生まれて成功した者もいれば、優れた才能のおかげで成功した人もいる。またコネで成功した人もいる。だが大多数は、一文無しの境遇から必死に努力して現在の地位に到達している。
成功者の大半は、一文無しから必死に努力して成功を収めた。この言葉は一般の人にはすごく励みになりますね。裕福な家庭でもなく、優れた英才教育を受けているわけでもなく、コネもない一般人からすれば、成功者のほとんどが一文無しから身を起こして成功したという言葉にすごく励まされます。
「成功に学歴はない、成功に英才教育やコネは関係ない、その人の努力次第でなんとかなる」私たちはその言葉に救われるわけです。自分は学歴もないし、裕福な家庭に生まれたわけではない。だけど、自分の努力次第でなんとかなる。成功者のほとんどが一文無しから身を起こして成功したという言葉にすごく勇気が与えられます。
しかし現実は、学歴やコネもなく成功できるのでしょうか?
現実はやはり学歴とコネのある人の方が豊かな生活をしているのではないでしょうか。一流企業は一流大学出を雇い、公務員も一流大学出を雇っている。学歴やコネのない残り9割の人は中小・零細企業で働いている。給料の差は歴然で、やはり核の違いがある。現実世界では、学歴とコネがあったほうが有利に働いている。
まあね、現実をみれば確かにその通りかもしれない。
でも、ひがむことはない。
成功者のほとんどが一文無しから身を起こして成功したというのは、ほとんどが会社員ではないということ。大半が自ら独立した人たちのことをいう。何らかの商売、起業、発明、アイデアを駆使して独立して成功した人たちが無一文から現在の地位に到達している。会社組織は既成概念が強く学歴やコネを重視するが、自らの商売であれば、そんなものは関係ないということになる。
独立して成功した人たちは、学歴コンプレックスを持たない。彼らは組織の奴隷になることなく自己責任で生きているから、学歴やコネを必要としない。そして10年経てばどんな優秀な学歴も紙クズとなることを知っている。本当の学問は、仕事を通していかに学ぶかを自ら体験している。つまり、無一文から成功したかったら独立するのが一番ということになる。
でも、わたしには独立する能力も資金もない。
仰せの通り、それが大半の意見。
起業した9割が5年以内に倒産している。そういった現実がある以上、そうやすやすと独立はできない。では、このまま低賃金の貧困に甘んじるかというと、それも嫌だという。1部の人間だけが豊かな生活をして、残りは不平不満のモヤモヤした世界にいて、悲観と絶望に明け暮れている。
悲観と絶望か?
それも、既成概念に囚われすぎ。
既成概念とは、すでに世間に広く浸透し「そういうものだ」と定着しているような、認識や考え方の枠組みを意味する表現。生き方はそれぞれであり、こんな固定観念に捉われる必要はない。
そんな概念や観念で悩むより、人は人、自分は自分と切り離して、必要に迫られて一生懸命働き、質素な生活を送る方がむしろ好ましい。それと、枠にはめる必要ない。人間の力は偉大だ。枠にはめて、自分の人生を窮屈にすることない。
人間は必要なものは手に入るようになります。
大丈夫です。人間にはその力がありますから。
ただし、その力を信じるには、固定観念や既成概念に縛られたら手に入りません。
そういった念を取っ払って、自分には必要なものは手に入ると信じることです。
純粋に信じれば手に入ります。モヤモヤしている人は手に入りません。
もちろん必要なものを手に入れるためには、必死に努力しなければなりません。
必死に努力している人にはモヤモヤ概念がないのです。ただ、ひたすら必要なものは手に入ると信じて努力をしているだけですから。
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ものがあふれてある裕福な状態で育つと全くハングリーに育ちませんね。
良くも悪くもハングリーさは必要でした。