ホーム > 恋愛・結婚・復縁  > 音信不通にされた場合どのくらい待てるか?私なら何ヵ月も何年でも待てます。
音信不通の記事を書いているくらいですから、待ち方はよく心得ています。

私なら、皆さんと同じように苦しむことはありません。

平気で何年も待つことができます。

その間、自分のやるべきことをやります。

待っているというより、忘れてますね。「忘れて待つ」それが私の待ち方となります。

すると、そこに愛はあるのか?本気で好きなのか?という疑問めいた質問が飛んでくるでしょう。

私はその疑問を一蹴します。そこに愛があるから本気で好きだから待つことができます。待つということは相手を信じていること、だから、平気で何年も待てます。これが私の心構えとなります。

なので、音信不通にしている相手に自分からは連絡をしません。相手からの連絡を忘れて待つことにします。すると大抵は向こうから連絡が来ます。来なければ自然消滅となりますが、それが相手の気持ちなら自然消滅に従います。数年経って、あのときのいい思い出として胸に刻まれるでしょう。

来なければ自然消滅?「そんな愛し方あるのか、そんなの愛ではない」というお叱りに「そんな愛し方もあります」それが私の答えです。ある程度大人になると、自分のことより相手のことを考えてあげる。相手がそうしたいのならそうすればいい。それが私の生き方となります。



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コメント

最近少し、先生のお考えの境地に立てたなって思いました。何年も、とは言えませんが、相手を理解することが愛なのかなって思ってます。
どうしても我が出てしまいますね(^_^;)

それと、先生のような方に相談されるのがいいと思っています。友達に相談すると大概不安や焦りが大きくなること言ってくるので。
心配してるふりをして面白がる人、足を引っ張る人、コントロールしようとしてくる人が多いですからね…

なにより、やっと連絡来たときに怒らないようにしないとですね(^o^)

素敵ですね

私もそう有りたいと思います。

音信不通って言葉は相手を責め、自分を正当化しがちだなと感じます。
けれど、相手はそこまでのことをしてるつもりは全く無いことも多いのではないかと。
見方を変えれば、勝手な期待でしかない。
たとえ、彼が一方的に悪かったとしても、それは彼の意思であり、彼の都合です。

尊重するのが愛ですね。

「平気で何年も待つことが出来ます

その間、自分のやるべきことをやります」

「忘れて待つ」

さらっとした一言なのに、深みのある言葉なんですよ。


やるべきことをやるってのは大切で、磨く鍛える蓄える、そして、笑顔。
なんていうのか、相手がここに帰ってきたくなるような雰囲気をかもし出す感じ。

世が世なら、沖川先生は茶道で名を馳せていたのかも。

関係ないコメントすみません。
婚活が億劫で、焦りと不安だけで時間だけが過ぎているアラサー独身OLです。
そんな私ですが、今日1人で考えていてはっとしました。
恋愛って本来は楽しいものだよなと。
誰かを好きになって愛し合って一緒にいるだけで、
怖くなるくらい幸せを感じる、あの感覚。
本当なら恋愛ってそういうものなのに、
怖がり面倒くさがり避けてきた自分。
婚活。結婚相手を探すという目的のために動く。
って、確かに間違ってはいませんが、
恋愛ってそうじゃないだろと。
今までは頭で考えて選んだがゆえに2人連続こちらからさよならする結果になりました。
そして新たな出会いを求めてもまたそうなりそうだと思うととても億劫で。
けれど、たとえば自分が大好きな芸能人のことを考えてみたら、好きすぎて余裕で何十年も待てるなと。笑
この人ならと自分が惚れ込んだ相手ならいくらでも待てるし、常に会いたいなと。笑
そんな感覚を忘れてしまってました。
ちゃんと?恋に落ちて、大好きでたまらない人と付き合いたい。この人とならすぐにでも結婚したいと思えるような人と付き合いたい。
そんな当たり前?のことを忘れていました。
沖川先生の恋愛日記では、むしろ私と反対のことで悩んでいる方が多いのかなと。
私の場合は頭で考え過ぎて、一番大事なはずの好きという感情をないがしろにしてしまっていました。
本気で好きになった人を失う怖さから、傷つく恐怖から、逃げてきたんだと思います。
だからうまくいかなかったんだと思います。
同じような感覚の方はいらっしゃるのでしょうか。
心に惚れ込み多少盲目になったり、重くなってしまうくらい好きになりたいですね。
記事とは関係なくてすみません、書きたいことを書いてしまいました。

何故かというと、

前の記事から、
自分の過去の行いを客観視して…人倫に悖るとはこういう事かと改めて思わされました。
たっぷりと反省した私ですが、逆の立場ならどうなの?って事になりますよね、確かに。
私の場合は、大好きな相手ならいくらでも待てちゃうという側面のある犯罪者です。
趣味や仕事に没頭しながら、待っちゃう。
自分を鍛えながら、待っちゃう。
踊り狂いながら、待っちゃう。
人に沢山会って、待っちゃう。
恋愛しながら、待っちゃう。
ひとり上手で、待っちゃう。 
彼が最後の人でもいいや位の気持ちで、待っちゃう。
よく、分かります。今回の記事。 
忘れてるけど、待つ…。何故なら大好きだからですよね。

平気で何年でも待つ。

待ち続けて3年が過ぎました。
毎日職場で会うのでスッキリすることも忘れることもできず。白黒つけずに話したくなったら連絡くれると信じて追及せずに待ってたら3年。
その間にほかの男性と遊んだりしたけど結局気付けばまた待ってる。
あんなに急に連絡なくなりよそよそしい態度をされてるのに。直接仕事で関わらないけどやさしい話し方や声、姿。全部やっぱり好きだなと思ってしまう。
終わりにしたいのにしたくない。困ったなぁと思いながら。また待ってる。こんなに誰かに執着したのは初めてです。平気じゃない。つらい。でも待ちたい。バカだなぁ。

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