ホーム > 恋愛・結婚・復縁  > 幸運の女神はいない、また神は盲目ではない
苦しい時の神頼み。

苦しいときに神頼みをしたことが私にもあります。だが、願い事はぜんぜん叶いませんでした。叶うどころか、逆に後退してしまったという経験があります。

私だけでなく、誰にでもそういった経験があるのではないでしょうか。神は無常で、本当に苦しんでいる人を助けてくれない。神様なんていない。信じた自分がバカだったという経験がどの人にもあるのではないでしょうか。

私は、今は大人になったので、苦しい時の神頼みはしません。神は神聖なものと崇めているだけです。「神様なんていない、神様を信じない」と神を愚弄したりもしません。ただ、神は自分の心の中にいる神聖なものとしてとらえているだけです。

神社の凜とした空気が好きなので、年に数回神社を訪れます。神社に行っても、自分の願い事はしません。神は自分の願い事は聞き入れてくれないと分かったからです。願い事をするのは、自分以外のこと。世界が平和でありますように、お客様が幸せになれますようにとお祈りするだけです。

神は盲目ではない。
神は、自分のことを願っても聞き入れてくれません。「自分のことは自分で何とかしないさいよ」といっているような気がしてなりません。そうだね、神は盲目でないから、自分のことは自分でなんとかするしかありません。

逆境は自分で乗り越えるしかない。逆境の乗り越え方は希望を捨てないこと。どんな逆境でも希望を捨てないこと。希望を持ちながら、誠実に忍耐強く努力していくこと。これしか逆境を乗り越える方法はありません。

「希望をもって誠実に忍耐強く努力していく」これが、神が与えた人間の力、人間の基本です。これを私たちは持っているのに、努力を放棄して神頼みに走るから、願い事が叶わないのです。「もう一度基本を取り戻しなさい」と神様がいっている。誠実に忍耐強く努力しなさいといっているのです。

ところが、自分は努力してきた。苦しいことにも耐えてきました。誠実に忍耐強く努力しても、願い事は叶わなかったという人もいます。

本人は一生懸命努力したといっていますが、この人に足りなかったものがあったのではないでしょうか。それは希望を捨てたこと。どんな逆境でも、希望を捨てないことです。希望を捨てれば、努力は水泡となります。希望持っていれば、努力は永遠に続けることができます。だから、努力中にうまくいかなくても希望は捨てないことです。

希望というのは、自分はこれだけやりましたと後悔するものではありません。希望というのはこれだけやりましたけど、結果ダメでしたということより、結果に囚われず続けることに意味があります。希望の意味は、どんな苦境に立たされてもあきらめないことをいいます。途中であきらめたから、努力したけどダメでしたという結果になるのです。ダメから続けるのもまた希望を復活させることになります。ですから、最後まで希望を捨てないでください。



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コメント

彼と別れ半年すぎました。
お葬式に長らくかかりました、、
今回ダメージが大きかったけど、また諦めずに今度こそ本物のパートナー授かり幸せになる、て毎日イメージしてます、後退して前進して、を繰り返していますが、信念にしていきたいです

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