人間は不安があったとき、不安のことをよく考えます。
本来なら不安のことは考えない方がよいのでしょうが、なぜか不安は追い払っても、追い払ってもまとわりついてきます。
不安なことを考えるのをやめて別なことを考えようとしても、興味があるのは不安な出来事ばかり。一度その世界に入ると、他のものは見えなくなる。この先自分はどうなるのだろう・・・という不安にしか興味がない。
ここで、私なりの不安を克服する方法を述べさせていただきます。
私はブログで、自ら湧き出てくる不安は自ら退治しなさい。不安な考えが出てきたら別のことを考えなさい、頭を切り換えなさいと教えていますが、なかなか出来るものではありません。不安のことを考えてはダメ!と首を横に振って追い払っていますが、首を横に振るのも正直疲れました。首がゴキゴキ痛い(笑)。疲れるので、自然に不安を受け入れることにしました。
不安のとき、不安を素直に受け入れる。
するとどうなるか・・・疲れます。不安のことをいろいろ考えると疲れます。不安はネガティブ波動が最大限に強いので、その反動でさらに疲れます。嫌になるほど疲れます。疲れたらどうなるか・・・不思議ですが、そのあと前向きな考えが出てくるのです。
人間はいつまでも不安の中にいるわけにはいかない。不安があったらそれを素直に受け入れてたっぷりと疲れてしまえば、次は前向きな考えが出てくる。底辺まで落ちた人間は這い上がるしかない。それと同じことが起きるのです。
不安は、前向になる起爆剤とそう考えればいいのです。ですから、不安はいたずらに追い払わないで、素直に受け入れればいいのです。受け入れても1日か2日、長くても1週間。来週には前向きな自分を取り戻すことができます。人生とはこれの繰り返しではないでしょうか。不安を同居させながら、前向きな気持ちになる、これが人生だと思います。
不安が続くのは、前向きなシナリオがまだ出来ていない証拠。前向きなシナリオはまだかまだかと待っている状態が不安を継続させている状態。「早く前向きなシナリオを作って行動しなさい」と神様が言っているのに、なにも動こうとしないから不安になるのです。
そして、厄介なことに不安は前向きなシナリオを作らせないように前向きな行動をさせないために、その人をがんじがらめにさせて阻止します。これが不安の正体なのです。私はそのことに最近気づきました。不安の正体は、未来の希望を阻止するためにあると気づいたのです。そしてさらに、未来の希望を見つけるのも不安の中にあると気づいたのです。
つまり、不安と希望は二律背反。不安と希望は相反するが、同じだけの合理性と妥当性を持っているのに気づいたのです。
だから、私は不安を受け入れることにしました。その中に未来の希望があるからです。不安で疲れたら、未来の希望が見えてくる。その正体を確かめるため、私は不安を同居させています。
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