人生においてあきらめることも、ときとして必要。
あきらめることを寛容といいます。
寛容とは広い心を意味します。自分とは異なる意見や価値観を安易に拒絶せず、許容することが大切ですよという意味です。
仏教では「あきらめ」こそ、いつでも、どんなことが起こっても、心が苦しまず、おだやかでいられる境地(悟り)のことをいいます。
老師の東洋思想では「あきらめよう・・・そうすればうまくいく」人間の欲望を制した道としても使われています。
そして、私の鑑定の現場では、「あきらめ」を次の発展のために使っています。
あきらめよう・・・そうすればうまくいく。あきらめることに罪悪感を持たず、あきらめることを前に進
むための動機として使うこと。あきらめることに執着せず、あきらめることによって前向きになれる心に転じていくこと。あきらめることによって、初めて人は正式に前に進むことができる。「あきらめ」を次の発展のために使うこと。
好きな人をあきらめるときは、どの人も執着します。たとえその人が悪い人だと分かっていても執着します。「愛」はある意味とても厄介な代物です。悪魔と呼んでもいいでしょう。悪魔の毒が人の神経を狂わします。「神経を狂わしてまで好きなるな」といいたいのですが、人を好きなる気持ちはどうしたって悪魔に支配されてしまうから仕方がありません。
神様が、悪魔の愛はあきらめてしまえ。あきらめて次は天使の愛を探すこと。「悪魔の愛に支配されている諸君、天使の愛はいくらでもいるよ」といっても聞く耳をもとうとしません。だから、あなたは苦しんでいるのです。あきらめることによって人は前に進むことができる意味を知らないからです。
世の中には2種類の人間しかいません。
あきらめの悪い人と切り替えの早い人がいるだけです。
前者は不幸となり後者は幸福となる、その2種類がいるだけです。
あなたは30年も前者の人間でいました。30年間相当苦しんだでしょう。今年から後者の人間になることです。今年はあなたが生まれ変わる晴れの日です。悪魔を退治して天使を見つけましょう。
私は、あきらめる話を述べるのが好きです。なぜなら大きな進化と成長がここにあるからです。
相手が善人ならあきらめる必要はありません。相手が悪人だからあきらめなさいといっているのです。世の中には2人の人間しかいません。善人か悪人です。そして悪人は表向きの人格では分かりません。中身が悪人となっているからです。
悪人の正体は相手をないがしろにします。ないがしろとは、付き合っている相手を侮り軽んじて冷たくあしらうことを意味します。ないがしろにされたら、恋愛はもうおしまいです。そこに愛はありません。
ないがしろにされた関係。うまくいっていない多くの恋愛が、こういった関係にあります。この関係を悪魔の取引といいます。あなたの高価な愛をそんな詐欺師まがいの悪人と取引してはいけません。取引を中止してください。そして、前へ進んでください。
あなたは今まであきらめの悪い人間でした。でも、今日からはあきらめのいい人間になることです。
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コメント
あきらめました。
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喧嘩のあと、コミュニケーションを遮断するから。話し合いしたくてもだんまり。もううんざり。切り替えて前に進みます。