そこへ、「捨てる神あれば拾う神あり」が現れる。世の中は、見限って相手にしてくれない人がいる一方で、助けてくれようとする人もいる。そういう男性が現れた。そして、彼女はその男性に少しずつ惹かれていくようになった。
これは浮気か?
これは浮気ではない。
「捨てる神あれば拾う神あり」という当然の成り行きである。それは自然の成り行きで、罪に問われるものではない。人間は長く苦しみの世界にいるわけにはいかない。苦しみが長く続ければ、人の気持ちも変化してくる。この人でいいのかな?という疑念が強くなり、自分を苦しめている相手に対して憎悪も増してくる。そこへ優しく親切な拾う神が現れる。好きなのは放置している彼だが、精神的な安らぎを与えてくれるのは新しく自分のことを好きといってくれている男性。彼女は自分の苦しみを癒してくれる新しい男性と疑似恋愛へと発展する。
これは浮気か?
男性側からすれば、彼女がやっている行為は浮気となるだろう。
しかし、これは浮気でない。放置をしている男性側の方が悪い。「放置は犯罪」ということをもっと理解するべきである。それが理解できていないから、彼女のことを浮気と決めつけてしまうのである。
このケースで彼女に浮気される男性は、ほとんどが彼女を放ったらかしにしている男性。仕事が忙しいのか、女を舐めているのか、性格がクールで冷たいのか、とにかく女をないがしろにする悪い男。だから、拾ってくれる神に彼女を取られてしまうのである。
捨てる神には罰を与え、拾う神には賛辞を与えるのが精神世界の掟。これによって放置は犯罪だということが、女性をないがしろにしていた男性に教訓として罰が与えられる。
昔読んだ記事に面白いことが書いてあった。
アメリカの浮気に関する裁判で、ダンナに放って置かれた妻が浮気をした。ダンナは許せないと慰謝料を請求したところ、逆に放っておいたダンナの方が悪いとして逆に妻に慰謝料を払うべきという判決が下された。日本ではありえないが、日本もそうなるといいですね、日本はまだまだ男尊女卑の傾向が続いていて、遅れていますから。
男性の恋敵は、自然と現れるようになっています。女性がそれを強く求めたわけではなくても、放って置かれて、苦しんでいた女性たちが偶然出会う現象はどこでもあるからです。
飲み会で、たまたま知り合った男性だったり、行きつけの病院で治療にあたった先生だったり、職場の同僚だったり、趣味やサークルの仲間だったり、英会話、パソコン教室で知り合った男性とか、女性たちは普段の日常の生活で彼の恋敵の男性と知り合っているのです。
もちろん知り合ったといっても女性はすぐに恋に落ちるわけではありません。あくまで恋愛感情は彼に置いてあります。放って置かれても自分の愛情が足りないからと、反省してさらに尽くす女性さえもいます。
女性の『好き』という気持ちは他人には理解できない感情です。他人には分からない、その女性にしか分からない気持ちなのです。だから女性は、自分の真心がいつか彼に伝わると信じて、けなげに頑張っているのです。
そのときの女性の気持ちは宇宙のような不可解な感情となっています。第三者は傷ついた彼女を見て、『あんな男やめたら、あなたにはもっとふさわしい人がいるよ』と忠告されても、本人は聞き入れようとしません。
友達や他人に『やめとけ』と非難されながらも不毛の恋から脱しようとしない。味方を失ってでも、女性はますます彼にのめりこみます。
そんな女性に新たに自分に好意を寄せる男性が現れる。辛い恋をしている女性ほど現れる確率が高いのです。辛い恋をしている女性は、愛情が豊かで感受性が高いので、そういう男性を引き寄せるのかもしれない。あるいは神様が頑張ったご褒美として、彼に対抗する新しい男性を用意するのかもしれない。
長く苦しんだあとは、彼一本だった女性の気持ちが動くことになる。他の男性には興味がなかったのに、新しい男性に新鮮さを感じ、彼にない部分を意識し始める。そして、彼とまったく違う性格に安心感を覚える。彼はいい加減だが、その男性は親切でやさしい。そしてなによりも私のことを最優先にして大切に扱ってくれる。その男性と会っていると、女としての誇りを取り戻すことができた。
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ブログありがとうございます。
放置って無視と似てますよね。
無視はいじめ。
たちが悪いのは仕事人間だと思います。浮気じゃないから放置も誕生日をスルーしても悪くないと思ってる。
肝がすわった女性がバシッと言えば直る男性もいるかも…。
仕事熱心は良いことですけどね。