ホーム > 人生哲学 > 自分は悪いことをしていないのに、なぜ不運のなるの?
人間は消息で生きている。

消息を辞書で調べると、物事のその時々のありさま。動静、状況、事情という意味だが、ここでいう消息とは、人が生きたり(息)、死んだり(消)すること、世の中のあらゆるものが、生まれてきたり死んだりすることを消息という。

人間も動物も植物もいつか死ぬ運命にある。それに逆らって生きることはできない。人の人生もすべてがこの波の中で生きている。これが自然の法則である。

つまり世の中には自然の法則があり、それに沿っていけば順調に目的地に到達することができる。ところが、それに逆らっていると、すべてがちぐはぐとなり前進することができない。

歴史上、英雄と言われた人たちが、どういうわけか意外にももろく挫折したり、運命のいたずらとしかいえないような悲運の最期を遂げたのも、このような消息、すなわち自然の法則に逆らったからだと考えれば納得できる。

英雄のすべてが正しいわけではない。正しい行いもあれば悪い行いもある。目的のために人を騙すこともあれば、出世のために卑怯な手段を講ずることもある。プライドでもって相手を打ち負かすこともある。称賛に値する英雄でも妬みや嫉み嫉妬の対象となることもある。うまくいっている時は伝説のようにはやし立てられるが、一度伝説が崩壊すると犯罪者扱いとなり極刑となる。

なぜ、そうなったのか?
それは、自然の法則に逆らって生きたからだ。もちろん最初は尊く清く正しく生きていたが、目的が達成し、さらに野心が高まり、もっともっと欲しいという欲望が出てきて、征服欲が強すぎて自分をコントロールすることが不全となり、最後は悲運な最後を遂げたのである。

中には、尊く清く正しく生きたという英雄もいる。尊く清く正しく生きているのに不運な目に遭ったという悲劇のヒーローもいる。だが、よくよく考えてみると、生涯を通して尊く清く正しく生きたどうかは疑問が残る。

途中から間違った精神、間違った思考で生きたのではないだろうか。はた目にはあんなに良い人がなぜこんな不幸な目に遭うのという同情心を抱かせるような悲しみの伝説となるが、やはり不運な最後を遂げる人は、本人も知らぬところで自然の法則に逆らって生きたのではないかと思う。

そういった現象は英雄だけでなく一般の人にも起きている。自分は何も悪いことをしていないのに、なんでこんな不幸な目に遭うの?という話をときどき聞くからである。

悪いことをしていないのになぜ不幸になるのか?それは本人が自分は悪いことをしていないといっているだけで、本人が知らないところで悪いことをしているのである。そんなバカな?と思うかもしれないが、実際にはそんなバカなことが起きているのである。

なにが起きているかというと、自然界の法則に逆らったからである。自然の法則とは、人が生れて死ぬまでの生き方が正しいかどうかでその人の運命が決まる。生き方が正しくなければ、自分は悪いことをしていないといっても不幸になる。

正しい生き方とは?
それは、積極的に生きること。

生れて死ぬまでの間、人間は積極的に生きなければいけないのに消極的に生きてしまった。「消極的に生きることは悪いこと」それを知らずに、自分は何も悪いことをしていないと言い聞かせて生きてきた。ネガティブで悲観的に悪いことばかり考えて、悪いことをせず生きてきた。なんで自分はこんな不幸な目に遭うのという人は、そのことに気づいていないのである。

自分は悪いことは何もしていないが、消極的に生きているとなれば、それは悪いことなのである。

まとめ。
人間は自然の法則「消息」に従って生きるべきである。


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