人間も動物も植物もいつか死ぬ運命にある。それに逆らって生きることはできない。人の人生もすべてがこの波に中で生きている。これが自然の法則である。
つまり世の中には自然の法則があり、それに沿っていけば順調に目的地に到達することができる。ところが、それに逆らっていると、すべてがちぐはぐとなり前進することができない。
歴史上、英雄と言われた人たちが、どういうわけか意外にもろく挫折したり、運命のいたずらとしかいえないような悲運の最期を遂げたのも。このような消息、すなわち自然の法則に逆らったからだと考えれば納得できる。
英雄のすべてが正しいわけではない。正しい行いもあれば悪い行いもある。目的のために人を騙すこともあれば、出世のために卑怯な手段を講ずることもある。プライドでもって相手を打ち負かすこともある。称賛に値する英雄でも妬みや嫉み嫉妬の対象となることもある。うまくいっている時は伝説のようにはやし立てられるが、一度伝説が崩壊すると犯罪者扱いとなり極刑となる。
なぜ、そうなったのか?
それは、自然の法則に逆らって生きたからだ。もちろん最初は尊く清く正しく生きていたが、目的が達成し、さらに野心が高まり、もっともっと欲しいという欲望が出てきて、征服欲が強すぎて自分をコントロールすることが不全となり、最後は悲運な最後を遂げたのである。
中には、尊く清く正しく生きたという英雄もいる。尊く清く正しく生きているのに不運な目に遭ったという悲劇のヒーローもいる。だが、よくよく考えてみると、生涯を通して尊く清く正しく生きたどうかは疑問が残る。途中から間違った精神、間違った思考で生きたのではないだろうか。はた目にはあんなに良い人がなぜこんな不幸な目に遭うのという同情心を抱かせるような悲しみの伝説となるが、やはり不運な最後を遂げる人は、本人も知らぬところで自然の法則に逆らって生きたのではないかと思う。
そういった現象は英雄だけでなく一般の人にも起きている。自分は何も悪いことをしていないのに、なんでこんな不幸な目に遭うの?という話をときどき聞くからである。
悪いことをしていないのになぜ不幸になるのか?それは本人が自分は悪いことをしていないといっているだけで、本人が知らないところで実は悪いことをしているのである。そんなバカな?と思うかもしれないが、実際にはそんなバカなことが起きているのである。
なにが起きているかというと、自然界の法則に逆らったからである。自然の法則とは、人が生れて死ぬまでの生き方が正しいかどうかでその人の運命が決まる。生き方が正しくなければ、自分は悪いことをしていないといっても不幸になる。
正しさとは何か?
それは積極的に生きること。
生れて死ぬまでの間、人間は積極的に生きなければいけないのに消極的に生きてしまった。「消極的に生きることは悪いこと」それを知らずに、自分は何も悪いことをしていないと言い聞かせて生ききた。ネガティブで悲観的に悪いことばかり考えて、悪いことをせず生きてしまった。なんで自分はこんな不幸な目に遭うのという人は、そのことに気づいていないのである。
自分は悪いことは何もしていないが、消極的に生きているとなれば、それは悪いことなのである。繰り返し述べるが、自然の法則に従うことは積極的に生きることである。
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結婚は人生の墓場か? いや独身こそが墓場だ!
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私の母がこの消極的タイプです。
私は正しくて何もしない良い人なのに幸せじゃない、と言います。
働く人は気が強くて怖いからパートなんてできない。
頭は悪くないと思うけど努力は嫌い。料理上手な人は大嫌い。
ロングヘアはみっともない。私は年齢相応の髪型。
女の人がお酒を飲むのは品がない、私は飲まないし飲み屋に行ったことがない。
友だちに意見なんか言わない。家に帰って家族に文句を言うだけ。
娘に彼氏がいるのが気に入らない。結婚しないでずっと実家で私たちと暮らしなさい。そうすれば私は独りにならなくて安心だ。
これらが全て積極的であったらもっと幸せと喜びにあふれていたのに。
そして娘に嫌われなかったのにな。。