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恋愛の話ばかりでなく、たまには別の話、人生哲学でも語りましょう。

「自分は何のためにこの世に生まれたのか?」

と自身に問いかけたとき、果たしてオレは私は何のためにこの世に生まれたのか?ちゃんとした答えを持っている人はそうそういないと思います。

この記事を書いている私もそうです。自分はなんのためにこの世に生まれたのか?その意味が未だに理解していません。人生の前半はどちらかというといい加減に生きたかもしれません。人生の後半になって少しや目的を持って生きるようになりましたが、これといった大それたことをやったわけではないので、まあ平凡かな、ボチボチかなという程度で今日まで来ました。

私だけでなく多くの人が生きた証として残るのは、出生証明書と名前の刻まれた墓石くらいかもしれません。平凡な人生を送り、ひっそりと息を引き取るまでに、人生で2億円分の商品とサービスを消費したという事実です。

中には成功した人もいるでしょう。

若いけど、頭いいなコイツという人もいますから。

成功をテーマにした本は多数あるし、成功者になるセミナーもたくさん開かれています。その中で実際に成功して大富豪になった人もいます。自らの知恵と努力で、人より優れた能力を発揮し、他では真似のできない商品や事業を展開し、商品が売れ、アイデアが売れ、成功した金持ちもいます。

凄いねこの人たち。勝ち組だね。
羨ましいところもありますが、人間として欠点もあるから…どうかな?というのが正直な感想です。

金持ちになった代償として、友人を失ったり家庭崩壊の憂き目にあっている金持ちもいます。またその一方で富とは無縁の人生を送りながら、つつましく家庭を守っている人もいます。天は二物を与えない。天は一人の人間にいくつもの才能を与えることはない。 また、ひとつの才能に秀でている者は、往々にして他に欠点があるということです。

どちらがいいのだろう。私は後者の方かな。つつましく生きる方に一票あげますかね。前者も少しワクワクしますが、自分には無理だと思います。

でも、つつましく貧乏は嫌かな。

最低限の文化的生活はしたいから。

友人を失い家族を失い、そんな代償は払いたくないですが、それらを維持しつつ、中の上を目指す。それならできそうですね。しかしね、それも大変よ。才能がないのだから努力をするしかない。この努力ってのが厄介で継続することが難しい。才能があって能力があって勢いよくポンポンやってしまうような人が成功者になる秘訣だろうが、そうすると人間としての欠点が浮き彫りとなってしまう。そうはなりたくない。人間性は失わず、中の上を目指すのは意外と大変かもしれない。

大富豪になる必要ない。
けど、貧乏は嫌。
自分は平凡でいい。できれば中の上くらいがいい。

そう考えている人が多いのではないでしょうか。

妄想では大富豪になって贅沢三昧の暮らしを夢見るかもしれませんが、しかし現実的ではない。現実は自分にあった質素な暮らし。その中で少し上を目指す。これが1億人の民が考える現実ではないでしょうか。

そしてその生活をキープするのは難しい。多くの人が日常でそれを味わっていると思います。

それでいいではないかな。

これから目指すのは、
「偉大なる普通」でいいではないかな。

偉大なる普通か。

いま、ちょっと閃いた言葉なのですが、いいですね。

「偉大なる普通」この言葉いいですね。

皆さん、偉大なる普通を目指しましょう。



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コメント

No title

はい、人生を楽しむために生まれました。だからもう暗くネガティブな感情はいりません。人を憎んだり恨んだり疑ったり、嫉妬したり、自分を卑下したり。過去の失敗も恨みも忘れました。毎日楽しいことだけ考えて生きていたいです。どうにもならないことは悩まないこと。起きるかどうかわからないことに対する不安な気持ちを持たないこと。これだけで明るく元気な人って言われてます。大きな目標も夢も持ちません。大金が欲しいとも。ごくありふれた普通の日常生活の中に幸せはいっぱいありますよ。

No title

普通の生活が1番かな。
自分でもそう思います。

No title

こういう男性が本当にいたのですが、酒飲みなので64歳でなくなりました。奥さんにも常に男がいて葬式は恋人のわかい男と一緒だったらしい。でも夫婦仲はよく人前ではお互いを褒めあっていました。

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