ダメ男にはまる女性を、インターネットで拾ってみると。

下記の内容に目がついた。

自信がない。
世話を焼きすぎる。
寂しがりや。


自分に自信がないから、ダメ男の欠点に目をつぶる。母性愛の強い女性は世話を焼きすぎて元々ダメ男でなかった男性をダメ男にしてしまう。寂しがりやの女性は、たとえダメ男でも寂しさを埋めてくれる男性が必要である。(以上、インターネットの記事を引用)


なるほどね。
そういう部分もあるでしょう。

自信のない寂しがりやの女性が、世話を焼きすぎてダメ男と付き合っているケースが、私のところでも多々あります。

では?
なぜダメ男を好きになるのでしょう。

自信がないから?母性愛が強いから?寂しがりやだから?それだけではないと思います。


ダメ男を好きになる女性は、
ダメ男そのものが好きなのです。

これはもう、好み(タイプ)といっていいでしょう。


いるわけない。
わざわざ、ダメ男を好きになる女性など。

そう思うかもしれません。
でも、いるのです。
わざわざダメ男を好きになる女性が。


ダメ男を好きになる女性の特徴は、完璧な男性が嫌いなのです。

条件がよくて人間性もよくて非の打ち所のない完璧な男性は、好きになれません。そういう男性は「つまらなくて、面白くない」「一緒にいても息が詰まる」だから、わたしはみんなが推薦する完璧な男性が嫌いなのです。

わたしが好きになる人は欠点のある人。

みんなに「やめとけ!」と反対される男性です。

みんなは反対だが、わたしは好きなのです、この手の男が。

このタイプの男は、
毎日が、ハラハラ・ドキドキして楽しいからです。

時々振り回されてドタバタ劇をやるけど、「こんちくしょう」と時々思うけど、酷いモロハラのいじめにあって散々嫌な思いもするけど、この人といた方が誠実な完璧な男性といるよりずっと楽しい。毎日がハラハラ・ドキドキの波瀾万丈だが、生き甲斐を感じる。



まとめ。

ダメ男を好きになる女性の心情を深く掘り下げるとこうなります。

人は完全だけを求めているのではない。人は、不完全さに救われることもある。その不完全さを「バラエティ」だと思って楽しむくらいの寛容さが必要。ダメを好きになる女性は自らバラエティ番組に出演している。そう思えば、楽しくいなる。

わたしはバラエティを楽しんでいるのだわ。

だから、変な人、不思議な人を好きになるのね。

誠実に堂々と生きている男性より、不甲斐ない男性に惹かれる。

なに怒っているの?なに威張っているの?なにがご不満なの?という男性に興味がわく。

世の中、完全な男性がいいわけではない。

わたしは、不完全な男性によって救われている部分もある。

なぜかというと、わたしもそういう部分があるから。

だからわたしのタイプは、完成された男性より、未完成のダメ男が好き。

ということで、
ダメ男を好きになる人は、
その不完全さに救いを求めているのです。



うつ病の患者が増えている。

厚生労働省の調査によれば、1999年から2005年までのたった6年間で、うつ病患者は2倍以上に激増。ついに日本は、うつ病患者100万人突破の時代を迎えた。

今は若者のうつ病が増えているらしい。
50年前の10倍とも言われている。

文明が発達すればうつ病が増える。
文明は人々を幸せにするのでなく不幸にするのか?とさえ、思ってしまう。

50年前の日本人より現代の日本人の方が幸福感を感じていないというデータもある。

50年前とは私が高校生の頃。確かにあの頃は高度成長時代の真っ只中で、それになりに幸せだったという記憶がある。時代の発展を意識して、将来に希望があったから。

でも、今の時代も捨てたものではない。文明は当時よりはるかに進歩して、豊かになり便利になった。今の時代は、2000年前の人類が望んでいた理想郷かもしれない。

戦争もなく平和な時代。科学が発達して暮らし向きは相当豊かになった。この国での餓死は皆無に等しい。今の時代こそ、人間が生きていくのに最もふさわしい時代なのかもしれない。これ以上発展してもおかしいし、またこれ以上後退してもおかしい。丁度いい時代に私たちは生きている。

人間が生きていくのにもっともふさわしい時代なのに、精神疾患を抱えている若者が増えている。50年前の10倍と増えている。困ったものだ。


だから、メンタルの弱い彼氏と付き合って、恋愛がうまくいっていない相談が増えたのか?

うつ病患者100万人突破の時代。でも、これは氷山の一角でその予備軍は、もっとたくさんいるのではないだろうか?医師の診断を受けないだけで、その数は5倍~10倍といるかもしれない。

現場で鑑定を行っている私は、
そのことを如実に感じている。

メンタルの弱い人が増えた…。
10人の鑑定依頼があれば、3人はメンタルの弱い彼氏の相談。「おい、男だろ、もっとしっかりしろ!」とハッパがけの喝はもう通用しなくなった。

今の時代はそんなスパルタ教育は通じない。そんなことをすれば、いじめだ、虐待だ、パワハラだ、と教育委員会から訴えられてしまう。

情けない時代になったと嘆いている場合でもない。こんな時代だからこそ智恵を絞らなければいけない。

メンタルが弱い彼氏とどう付き合うか?ガラス細工張りの恋愛を、どうやってピキピキ亀裂が入らないように扱うのか?女性が神経をすり減らす時代となったのかもしれない。


メンタルが弱いということは、
はっきりいってお子さんだ。
彼は33歳だけど、中味は13歳だ。貴女は13歳の中2と付き合っている。

もう、そう思うしかない。
反抗期の息子は大変だ。
すぐにすねて反抗するから。
その覚悟で付き合うしかない。

相手を中2だと思えば、
もう依存する必要がない。
頼ることもしなくていい。


ここに書いている意味が分かったとき、貴女は彼を上手にコントロールできる。偉大な母となって。

今日もメンタルの弱い彼氏の相談が3件。お子さん相手の相談は大変だ。仕事が忙しくなれば心が折れて音信不通となり、ストレスが溜まればよその女の子とLineして、彼女を嫉妬さえ悩まさせている。

まとめ。
お子さんの動きは、いつもこんな動き。子供の動きは手に取るように分かる。私は子供の動きに慣れているけど、相談者は慣れていない。だから、私の役目は相談者の心に寄り添い、勇気を与えること。なんとかしようという希望を与えること。それを毎日繰り返している。


男は忘れた頃に戻って来る。
このテーマは、
久しぶりの投稿です。

男は忘れた頃に戻って来る、実例を2つ述べます。

1、わたしにはすでに新しい人がいて、モト彼からのお誘いはお断りしました。断ったら、男の闘争本能に火がついたのか、それから何度も何度も復縁を迫られましたが、「何で今頃?今さら遅い!」という気持ちで元カレからの復縁を完全に拒みました。

2,先生のいうとおり、モト彼は忘れた頃に戻って来ました。せっかく忘れたのに、やっと辛かった恋愛から卒業できたのに、やっとこれから前に進もうと思ったのに、振り出しに戻ってしまった。元カレが戻って来たから。

男は忘れた頃に戻って来る。戻って来る時間は、女性の待ち時間よりもうんと長い。女性は3ヶ月が限度だが、男性は1年か2年の時間を経て戻って来る。ただし、すべての女性に戻るわけではない。戻って来る女性は思い出深い女性のみとなる。

1の場合は、待たせすぎ。
彼女は新しい恋人をつくった。
だから1の場合は、終り。

1年も2年も放っておいたら、女性はよそに行ってしまう。そのことを男は知らない。「彼女はまだオレにことが好きだ」「オレ以外の男を彼女は愛さないはずだ」と思うのが、男のうぬぼれである。そのうぬぼれがあるから平気で女性を待たす。

だが、うぬぼれによって愛する彼女をよそに取られた。「女はいつまでも待てない」これが痛く胸にしみただろう。そのあとは切ない未練だけが残る。

2の場合は、振り出しに戻った。
せっかく元カレのことを忘れたのに・・・連絡が来るものだから、なんで?なんで?と不安と期待に心がざわつく。また始まるのか・・・あの壮絶な恋愛が。彼は成長したのかな?いやあの性格は変わらない、と思いながら振り出しに戻る。

振り出しに戻ったら、また恋の悩みが始まる。女を振り回す男との付き合いは大変だ。なぜ?かというと、忘れた頃に戻って来た男の気持ちは、本気なのか?気休めなのか?魔が差したのか?分からないからだ。

1は終り。
元カレのことはどうでもよくなる。オンナは新しい人ができれば、その人だけに夢中になる。だから、元カレはもうお呼びでない。さようなら。

2は振り出しに戻る。
また始まるのか?あの恋愛が。困ったな・・・せっかく忘れたのに・・・と思いながら、続ける意志を持つのがオンナ。また波瀾万丈の世界へ戻って来たね。どうなるのかな?またあの悩み深い世界に戻るのかな?まあ、これがオンナの生き甲斐だから仕方がない。


まとめ。
忘れた頃に戻ってくる男の心理は、
男の未練によるもの。

そして、それを迎え撃つ女の心理は、
女の生き甲斐によるもの。

男の未練と女の生き甲斐がそうさせている。


追記。
さて、
2のドラマはまだ続きそうだね。
「男は忘れた頃に戻って来る」
「振り出しに戻った」

2の物語に、火がついた。
また、続きを書こう。
今度は失敗しないような、心構えを持って。



1,お金は人格をもって扱え。

金をどのように扱うのか?どのように金を手に入れ、貯え、使うのか?これは、われわれが人生を生きぬく知恵を持っているかどうかの最大の試金石だ。

もちろん、金を人間生活の第一の目的だなどと考えるべきではない。だが、同時に、物資的安定や社会繁栄の大部分が金で支えられている事実を見ると、金など取るに足りないものだとはいえないし、聖人ぶって金を軽蔑するのも正しくない。

以上  S・スマイル著の「自助論」を引用。




お金とは愛そのもの。

お金を上手に扱える人は愛も上手に扱える。お金を下手に扱っている人は愛も下手に扱っている。お金とは愛そのもの。扱い方が上手な人は美徳となり、扱い方が下手な人は悪徳となる。

お金を愛する人は寛容で誠実で心が広く、将来の配慮という美徳を備わっている。一方でお金を愛さない人は、強欲やペテンに走り、不正、利己心がつきまとい、明日へも知らぬ悪徳の世界へ入っていく。

われわれは快適な生活に無関心でいられない。

住む家があって、3度の食事にありつけて、着たい洋服がある。衣服と食物と住居は生活していくための基礎だが、今はこの基礎だけでは快適とはいわない。文化の発展とともに暮らし向きはさらに便利になり快適になった。

誰もが持っているスマホ。今はスマホなしでは生きてはいけない。ネットの発展とともに、暮らし向きは大きく変わった。何が大きく変わったか?遊びが多くなった。飲み会、外食、旅行、趣味、スポーツ、ゲーム、イベント、コンサートなど、遊びの分野が多岐に広がった。快適な暮らしをするのは、それだけお金がかかる時代となった。

遊びはお金がかかる。
人生から遊びを消すわけにはいかない。遊びも仕事も一人前になる。遊びのある生活こそが、快適のある暮らし、そのくらいの生き方がいいと思う。

快適な生き方を手に入れるためには、汗をかかなければいけない。汗をかいてお金を稼がなくてはならない。

汗をかくとは、仕事をするというイメーだが、「額に汗水たらして仕事をする」というイメージでは最初からしんどくなる。「いま汗かいておけば、将来は楽になる」というイメージに変えた方が精神的には楽になる。つまり、現在の苦労を未来の希望に変えてしまえばいい。

汗にもいろいろあって、
いい汗と悪い汗がある。

いい汗とは健康的な汗。
悪い汗とは不健康な汗。

健康的な汗。
仕事、運動、スポーツ、読書、勉強、快適な睡眠など。

不健康な汗。
夜更かし、深酒、長時間のネットサーフィンやゲーム、不安や恐怖のネガティブ思考など。

人間の体は大半が水分でできている。

生きている間は、どの時間帯でも汗をかいている。

お酒を飲んでも汗をかいているし、ゲームをやっても汗をかいているし、うまくいっていない問題に悩んでいる時も汗をかいている。

仕事をしているときも汗をかいているし、運動やスポーツ、読書をしているときも汗をかいている。

前者は不健康な汗で、後者は健康的な汗となる。

お金は健康的な汗をかいている人に回るようにできている。

同じ汗をくのなら、お金が回るような汗をかこう。



まとめ。
将来、楽をしたかったら、いい汗をかくこと。
不健康な汗でなく、健康的な汗をかくこと。




コロナのせいか、自分の実力がないせいか、予約は埋まらず暇である。

暇のときは、ブログを書いて種まきをするのがいちばん。

そう思って、時間があれば、こうしてブログを書いている。

今日は面白いことがあった。

あるお客様との電話鑑定だが、
ブログの印象と鑑定の印象が違うという。

ブログでは、硬い印象を持つが、実際に話してみると柔らかいと言われた。

((((;゚Д゚)))))))  へ?  そうなの?

驚きだね、そうなんだ。

そんな印象を持たれていたの?

ブログの印象では、
もっと怒られるのかと思った。
私は怒りません(笑)

もっと叱られるのかと思った。
私は叱りません(笑)

「この男はやめたほうがいい」と否定されると思った。

私は否定しません。

なんだ、ブログの印象と違うではないか。

はい、ブログの印象と違います。

どこにでもいる、普通のやさしいおじさんです(笑)

あるいは、おじいちゃんかもしれません。

娘と孫を相手にしています。

ときどき息子も相手にしています。

そうか・・・ブログの印象は固いか。

もっと柔らかくしないとね。

無理か・・・文体は変わらないし。

せめて、こちらの記事で報告しておくか。

私の鑑定は、心が温まると。



彼にフラれた。
仕事を失った。


彼との終わりは最悪だった。
仕事で最悪な失敗をした。

こんな終わり方をするのか?
こんな辞め方をするのか?

わたしの人生これからどうなる?
不安でしかない。

完全に敗北した。
今の状況は、悲観に明け暮れている逆境だ!

仕事も恋愛も悲しい結末。
惨めだ。

話を聞こうか?
私でよければ、なんでも話してごらん。

まずは君を立ち直らせよう。
「逆境や敗北を自分の財産ととらえて、不必要にくよくよしない」こと。大丈夫だ。みんなそうしているから。みんな最初は敗北して悲観に明け暮れるが、いつかまた立ち直って前に進むから。

そのとき、痛みは財産となる。この財産を築くには少々荒っぽいことを経験しなくてならない。逆境や敗北という痛みを経験しなくてはならない。逆境や敗北を経験しないで成功した人もいなければ、幸せになった人もいない。

そう思えば、逆境や敗北は財産だ!

でも、それはいつにのなるの?
逆境や敗北が財産になるのはいつなの?

わたし…そんなに待てない。
もう苦しくて苦しくて、不安でたまらない。

君次第さ。
これが、財産になるのは。


ただ、このまま泣いていてもしかたないよ。

このまま悲観に明け暮れてふさぎこんでもしかたないよ。

やる気をなくしたオタク状態になってもしかたないよ。

もう何もしたくないという気持ちは分かるが、何かをしよう。


何をすればいいの?
わたしには、もう何もやることがない!

ただ今は、泣いて暮らすだけだわ。

やることはあるさ。
敗北した原因を調べてごらん。
逆境になった原因を調べてごらん。


ほんのわずかでも、原因を調べてごらん。

そこにやることが必ず見つかるものさ。

たとえば、彼にフラれた原因を調べる。
わたしのあの時の態度が悪かったという原因に行きつくとする。原因が少しでも見えてくれば、これから態度を改めればいい。そんなことをしても、彼は戻ってこない…などと思わないこと。恋愛は原因を追及しているうちは終わらないから。

え、終わらないの?
そう、終わらない。

なんで?
なんでかな?人との繋がりとはそういうものだし、飽きらめなければ、いつまでも続くようにできている。神という存在がこの世にあるかどうか分からないが、神は諦めない人を応援してくれる。だから、神が応援してくれる間は続く。

それって気休めですか?
気休めではない、真実だ。


まとめ。

逆境や敗北を自分の財産ととらえて、不必要にくよくよしない。

不必要にくよくよしている暇があれば、原因を追及して、悪い点があれば、改善する努力をすること。悩めるオタクになるのではなく、一個一個問題点を追及して、少しでも良くなるように改善すること。

逆境や敗北が財産になるのは、逆境や敗北となった原因の中に財産がある。原因を追及して改善するから財産となるのである。



何かにチャレンジするのは、大袈裟なことでなくていい。

目の前のいいことをするだけでいい。


いいことって何?
それは人によって違う。

やりかけの仕事を続けるとか、中途半端だった仕事を最後まで完成させるとか、部屋の掃除をするとか、洗濯をするとか、ご飯の支度をするとか、外に出てウオーキングをするとか、ジムへ行って筋トレをするとか、図書館に行って本を読むとか、これがいいと思うことを実行に移すだけで、目の前のいいことを成し遂げたことになる。

目の前のいいことを実行する。
これを『客観的な事実』という。

何かにチャレンジは、客観的に考えた行動でいい。私たちは考え過ぎなので、あまり深く考えなくていい。いま、やらなければならないことがあるのに、やることを怠けて、くだらない妄想にふけっているから客観的事実を見逃してしまうのである。それでは、いつまで経っても、心配と不安の種は消えないよ。

不安や心配事に対する免疫をつくる方法は、客観的事実に基づいて、いま目の前にあるいいことを行なえばいいのである。やりかけの仕事があれば最後まで完成させなさい。家でダラダラ過ごすのが嫌だったら外に出なさい。疲れてしんどいなら30分でいいから仮眠しなさい。いま、目の前にあるいいこと。客観的事実に基づいて、これがいいと思うものを実行に移しなさい。そうすれば、不安や心配に立ち向かう免疫ができる。

これがいいというものが見つからない?
仕事はやっているし、家事もやっている、健康にいいこともやっている。

なのに・・・不安や心配の種がつきない。

やるべきことはやっているのに、不安や心配の種がつきない・・・。

そういうことってあるよね。

その場合、私ならどうするか?
不安や心配事の種がつきないのは、不安や心配事が客観的事実だと認めているから。不安や心配事が客観的事実なので、そこから逃れて他のことをやっても、何も解決しない。これから先は、不安や心配事を客観的事実として精査して分析するしかない。

分析していけば、そこからまた客観的事実が見つかる。たとえば、仕事に不安や心配事の原因があれば、分析して原因を突き止める。原因が分かればそれが客観的事実なので、そこに焦点を当てて改善していくしかない。

原因は、自分が怠け者だったから。(不安や心配の種は、ほとんどが自分に原因がある)

今まで頑張っていたものが、ここに来てサボった。まあ、なんとかなるだろうと手を抜いた。あるいは時代遅れのやり方にいつまでもしがみついた。自分の頑固さがそうさせた。いずれにしても、それらが原因で心配と不安の種が増えた。

原因は分かった。客観的な事実に基づいて分かった。

自分が「怠けていた」からだ。

これが事実なら、いまからまた一生懸命仕事をすればいい。

明日も明後日も未来もサボることなく一生懸命仕事をすればいい。

そうすれば、正しい習慣ができる。客観的事実に基づいた正しい習慣ができる。




まとめ。

不安や心配に立ち向かう方法は、客観的事実に基づいた方法で、いまやるべきことを正しくやること。

習慣は毎日・毎日繰り返すことで習慣となる。

ただし、妄想を繰り返せば、悪い習慣となり、不安と心配の種が増える。

客観的事実に基づいた、いまやらなければならない正しい行動を繰り返せば、正しい習慣となり、不安と心配を打ち消す免疫ができる。



彼と別れたとき、自分はどうなるのだろうか?
こんなことは想像したくないと、
誰もが思うかもしれないが、現実は彼とうまくいっていない。

彼とうまくいっていない現実が不安でたまらない。

毎日が憂鬱で、心配の種ばかり探している。

彼を失ったら自分はどうなるの?
考えるだけで、頭は混乱してしまう。

恋する乙女は、いつもそうやって心配している。
極度の心配性、これが乙女なのかもしれない。

乙女に年齢はない。
10代の乙女、30代の乙女、40代の乙女がいれば、50代、60代の乙女もいる。

オンナは灰なるまでオンナ。
オンナは恋すれば、いつだって乙女になる。

オンナが乙女になれば、いつだって心配ばかりしている。

他のどんなものよりも心配している。

仕事は平気なくせに、
他人との関係も平気なくせに、こと恋愛だけ、心配ばかりしている。

最悪なことに、
この心配は見事に的中する。
彼とぶつかり、関係が悪化してしまった。

恋人と同士の関係は、薄いガラスの板で踊っているようなもの。

ちょっとしたことで亀裂が入る。

ちょっと感情的になっただけで、ガラスの板はピキピキと音を立てて、4

崩れる。

このピキピキときしむ音が、恐怖の心配の種となる。

なんとか体制を整えようとするが、乙女は修復が下手なので、さらに地雷を踏んでしまう。

そして、ドカーン!と一気に壊れる。
二人の関係は跡形もなく消えてしまった。

だが、裁判は終っていない。
彼の審判はまだ下っていない。
彼は、まだ別れを切りだしてこない。

この時間が恐怖の時間。
心配で不安で、生きた心地のしない恐怖の時間となる。

彼の返事待ちが恐怖の時間となる。


こういったケースの場合は、
最悪の事態に備えて、心の準備をしておくこと。


やってしまったものは仕方がない。
今さらジタバタしてもしょうがない。

オトコとオンナはぶつかるものだ。
人種も違えば、価値観も違う。
だから、ぶつかるのは仕方がないこと。

もし、そんなことで別れるのなら、
仕方がないじゃないか。

別れたら、元に戻っただけ。
彼と知り合う前の自分に戻っただけ。

あのとき、自分は独りだった。
あのとき、自分には恋人がいなかった。

だから、また一からやり直せばいい。

最悪な事態に備えるとは、
失う覚悟を持つこと。


失う覚悟とは、
自立力だ。

自立力は、最悪なときに学ぶようにできている。
あなたは、たった今、それを学ぼうとしている。

不安なときこそ、心配なときこそ、
救ってくれるのは、あなたの自立力だ。

あなたならきっと、自立ができるだろう。
なぜなら、あなたは強制的にその訓練を受けているからだ。

彼という存在によって。

さて、最悪な事態を考えよう。
彼を失ったとき、あなたはすでに失う覚悟ができている。

こんなことで終るような相手では、将来の相手ではない。

だから、終るのなら終ってもいい。
わたしは、また一からやり直すだけだ。

あなたと出会う前の時間に戻って、
あなたを他人として扱うだけ。

わたしは、今まで心配性の人間だった。
このわたしが、失ってもいいという覚悟が持てた。

これによってわたしには、
最悪な事態に備えて「心配の免疫」をつくることができた。



恋愛日記は、恋愛だけでなく人生についても語っている。

恋愛だけの学びの場ではなく、人生についても学びに場にしたいと思っている。

また、仕事の学びの場にもしたい。仕事に役立つこともふんだんに提供したいと思っている。提供するのは、仕事の技術面ではなく、仕事の精神面や仕事の心構えを提供していきたいと思っている。

つまり、このブログ(恋愛日記)は人生に関することはなんでもあり。そのつもりで毎日投稿している。

なぜ「恋愛日記」というタイトルをつけたのか?

それはすごく簡単なこと、この仕事のほとんどが恋愛の相談ばかり、だからそのタイトルにした。そして、恋愛を通して世の中を良くしていきたいという発想のもと、「恋愛日記」というタイトルにした。

様々な成功哲学があって、その類の本もたくさん読んだが、いまひとつピンと来ないものがあった。

なにかかけていたのだ…。

かけていたものはなんだろう…。
それは、

愛だった。

こちょばゆい。
自分で「愛」と発表して、恥ずかしくてたまらない。

大の大人が愛というのか、
いや照れるな。

女の子がいうのならわかるけど、
男がいうか!
このたわけ!

恥ずかしいと思いなさい。

はい、恥ずかしいです。
穴があったら入りたいくらい。

でも、穴には入らない。
なぜなら、これが使命だと思っているから。


様々なビジネス書。成功哲学、自己啓発、心理学、哲学と読み進めてきたが、みんな愛とかけ離れた成功ツールばかり。いかにお金を儲けるか、いかに勝ち組になるか、いかに豊かで幸福な人生を送るかの立身出世の物語が多い。

愛に関しては少しは書いてあるが、ほんのわずか、1%にも満たない。成功した人たちの考えは、愛は仕事の邪魔、出世の邪魔、金儲けの邪魔とはとらえていないかもしれないが、それにしても愛に関する記述は少なすぎる。

成功の基本とはなんだ。
金儲けか?出世か?豊かな生活を送る勝ち組か?そのための目標か!そのための計画か!そんなもの…基本とは言わない。

基本は守るものがあって、
ナンボの世界。
愛があるから基本ができるのである。

愛のない金儲けや出世は成功とは言わない。

なぜ働くか?それは愛する人を守るため。

なぜお金が欲しいか?それは愛する人を守るため。

なぜ生きているか?それは愛する人を守るため。

その基本がなければ、人間生きている資格がない。

「恋愛日記」はその基本を取り戻すため書いている。

基本を取り戻すため、
ここでは恋愛が成功する方法をありとあらゆる形で書いてある。中身はちまちました内容が多いかもしれない。はたからみたら、メンドクサイなという記事もふんだんに書いている。他の成功哲学には1%しかないものを、ここでは100%書いている。生きるための基本を取り戻すために。愛という基本があるから、成功するものだと信じて書いている。

まとめとして。
男が書いている「恋愛日記」
タイトルだけみれば、恥ずかしいが、中味は沖川の使命がたくさん埋まっている。




ここに反対される恋愛がある。

既婚者を好きになった不倫。
ダメンズとの恋愛。
別れた人との復縁。
こういった恋愛は、人々に反対される。

ダメだと・・・本人も頭では分かっている。

だが、やめられない。
やめたら生き甲斐を失ってしまうからだ。

「生き甲斐なら他にあるでしょう」と人々はいう。

それも本人は分かっている。
他に生き甲斐があることくらい。
だが、幾ら探しても人を愛する気持ちに勝る生き甲斐はない。

仕事に活路を見出してもダメ。
スポーツに汗を流してもダメ。
趣味に没頭してもダメ。
人を愛する気持ちに勝る生き甲斐はない。

人を愛する気持ちは、人間が生きていくための基本。

この基本があるから、仕事に活路が見出される。

この基本があるから、スポーツで気持ちのいい汗が流せる。

この基本があるから、より趣味が楽しくなる。

この基本があるから、友達との楽しい時間が過ごせる。

家に帰れば、愛する人がいて、そこに生き甲斐があるからそういうことができる。

生き甲斐が、何かをやるための基本となっている。

でも・・・今はその生き甲斐がない。
愛は失ってしまった。
ということは生きる基本を失ったことになる。

終って良かったね、と頭では分かっている。

でも、感情がついていけない。
頭では理解できても感情がついていけない。

こうなる気持ちを誰も責めることはできない。

人間は弱い。そして、人間は間違いを犯す。

たとえ間違っている恋愛でも、そこに生き甲斐を見いだす。

人は愛がないと、生きていけないからだ。

人を愛する気持ちは、どんな恋愛でも、生き甲斐となる。

不倫の愛も、ダメンズとの愛も、不貞の愛も、不可能な愛も、どんな愛でも、その人にとっては生き甲斐だ。ほとんどの人はそのことを知らないが、私はそのことをよく知っている。愛はどの形でも生き甲斐だと・・・知っている。

それによって、他では相手にされない相談が、私のところに舞い込んでくる。

私は大歓迎だ。複雑極まりない相談にいまさら驚くことはない。複雑な相談はさすがの私でも少々頭を悩ませるが、それも刺激だ。活路を見いだす刺激だと思って、鑑定に当たっている。

不倫の相談。
不倫は幸せが10%で苦しみが90%の世界。不倫を一度経験した人は、二度と不倫はしたくないという辛さを味わう。ここまで辛くて悲しい物語は他にないからだ。付き合っている間は生きた心地がしない。強い罪悪感とルール違反と法律違反と反社会的活動が不倫という愛のシナリオ。

まともな精神構造でこの不貞の愛を続けられる人はいない。そこで悩む、苦しむ。苦しみは当然だが、ここでやめる人も滅多にいない。なぜなら、それでも愛は生き甲斐だからだ。


そこで、私のところに鑑定を兼ねて相談に訪れる。

私のところに来るってことは、そろそろ潮時を迎えているのかもしれない。

終りの苦しみを携えて、私のところに相談に来ているのだろう。

そういう人には、共感しながらも未来に希望を与えるようにしている。

また、中には「続けてもいいですか?」という人もいる。

それに対して、私は反対しない。
一般の人なら反対するかもしれないが、私は反対しない。

なぜなら、愛は生き甲斐だからだ。

どんな愛でも生き甲斐だからだ。

私に人の生き甲斐を止める権利はない。

話の内容によっては「やめたほうがいいですよ」という忠告はするが、強行に反対などしない。その人が続けるということは、その人の人生の裁量によるもの、あと少しだけ続けたいという微かな希望を打ち砕くことはできない。

どんな愛も生き甲斐だ。
不倫でも、壊れた愛でも、復縁でも、生き甲斐だ。

いい恋愛だけが生き甲斐ではない。

人々が悪いと称する恋愛にも生き甲斐がある。

そして、愛には善も悪もない。

生き甲斐を善悪で区別するモノではない。
その人の気持ちで善悪を区別しながら、生き甲斐に変えるしかない。

人は不幸を望むわけではない。

相手の不幸を望んでいる愛はこの世に存在しない。

不倫相手が相手の家庭を壊してまで、この愛を自分のモノにしようとしているわけではない。不貞の愛だが、純粋にその人のことを愛しているに過ぎない。下手な純愛より、不倫の愛の方が純粋の場合もある。

純粋な気持ちが見えたとき。

「続けてもいいよ」と私は答えるようにしている。

愛は生き甲斐だから。