自分に自信がない人は、
「わたしは何をやっても、うまくいきません」
「どうせオレなんか、何をやってもダメさ」
という言葉が多い。

自分は人より劣っていると自虐的になって自分を否定する人は、間違った信念が植え付けられている証拠である。今こそそれを改めることです。

どんな育ちだか分かりませんが、20歳を過ぎたのだから、そろそろこの間違った信念を改めることです。

ひねくれた自虐的な信念は、もうあなたには必要ないのです。いつまでこのひねくれた信念を持ち続けるのですか?もういいでしょう、この間違った信念をそろそろ捨てましょう。

私たちは自分の信念が根拠あるものだと思いがちだが、果たして本当のそうだろうか?私たちが信じている大半の信念は、幼い頃から青年期に至るまでの若くて影響を受けやすい時期に、親や他人から植え付けられたものです。

親の教育が悪ければ悪い信念が植え付けられ。目上の人の行動が悪ければ悪い信念が植え付けられ、学校の先生の思想が悪ければ悪い信念が植え付けられる。

「君は悪い子だ、あれもダメだ、これもダメだ」と厳しい親からダメ出しばかりされれば、自分は出来の悪い子という信念が植え付けられる。

学校の先生に「君は頭が悪いね、この成績では進学できないよ」と言われ続ければ、自分は出来の悪い子という信念が植え付けられる。

目上の先輩に「オマエはへなちょこだ、弱虫だ」とからかい続けられれば、自分は出来の悪い子という信念が植え付けられる。

そして、自分の家庭環境が悪ければ、自分が出来の悪いのはこの家庭環境の悪さが原因だという信念が植え付けられる。

若くて影響を受けやすい時期に、悪い信念を植え付けられるのは仕方がないとしても、もう君は20歳を過ぎた大人だ。いつまでも幼い頃に植え付けられた信念を後生大事に持ち続ける必要はない。間違った信念は今すぐ捨てるべきだ。

いつ捨てるか?
今か?
10年後か?
30年後か?
30になってからか?
40になってからか?
50か60になってからか?
それじゃ遅い。今すぐ捨てるべきだ。

自分はダメだ。
自分は自信がない。

自分は何をやってもうまくいかないのは育ちのせいだ。親の育て方が悪かったせいだ。親の愛情がなかったせいだ。そうなったのも育った環境が悪かったせいだ。さらに学校教育が悪く、あの教師が自分をいじめたせいだ。しまいには非行に走り、悪い仲間のお陰で自分はどんどん悪に染まった。社会人になって努めて会社もブラック企業でパワハラ上司の嫌がらせにもあった。周りの大人たちの悪い影響で、自分はすっかりダメ人間となり自信を失った。

悪の連鎖反応。
苦労したね、ご苦労様だった。

そうだ、君がそこまで落ちぶれたのも他人のせいだ。
悪い大人たちのせいだ。

だが、そうやって人のせいにしても、あなた自身が良くなるわけではない。
いつまで、このくだらない信念のままでいるのだ、あなたは。
悪い信念に食らいついたところで、あなたが浮かばれることは一生ない。

捨てるのだ。
今こそ、この悪い信念を。

信念には正しい信念をと悪い信念がある。
自虐的な発言や態度はすべてが悪い信念が成せる業だと思えばいい。だから、もういいだろう、自分は人より劣っているという間違った信念を今すぐ捨てよう。


20歳を過ぎたのだから、そろそろこの間違った信念を改めることだ。
改めるのは、いつやるの?
それは今すぐだ。

いつまでも間違った信念を持ち続けてはいけない。
なるべく早く捨てることだ。
いつやるか、それに気がついて、早く捨てた人が、これからうまくいくようになっている。

このままでは失敗組の人生です。
早く成功組の仲間に入ることです。

成功組と失敗組の差はなんだか分かりますか?
それは、間違った信念を正しい信念に変えた人たちの差です。




誰にでも後悔はある。
あのとき「あれを、しなければよかった」という後悔が誰にもある。
そのとき、人は自分を責める。
だが、それは適切な対応だろうか。
もっといい対応があるのではないだろうか。

あのとき、自分が下した判断は、結果はどうあれ、「自分なりに最善を尽くして判断した」となれば、自分を責めるよりも、自分を褒めることができるのではないだろうか。

結果が悪くとも自分で判断を下すことが重要で、そういった失敗の積み重ねがあってこそ人は成長できる。だから結果はどうあれ、あのときの自分の判断は正しかった、そして最善を尽くした、そう思えばいいのです。

自分の判断で、彼氏との関係を終りにした。
自分の判断で、転職した。
自分の判断で、引っ越した。
結果として失敗だった。結果として後悔した。「しなければよかったと・・・」。だが、それは適切な対応ではない。当時は自分なりに悩んで、これが最善の方法だと思って決心した。結果はどうでもいいのです。それより決心した自分を褒めるべきです。

今まで出来なかった、決心した自分を褒めることが。

今までの自分は決心した自分を責めてばかりいた。

自分を責めるから自分は成功しないのだ。自分を責めるから自分は幸せになれないのだ。それにやっと気づいた。これからは自分を褒めることにする。よく決断したと。


いま、繊細女子の記事を書いているが、
男性も繊細男子が増えてきた。

繊細女子と繊細男子が付き合う。
このケースが増えている。
このカップルのことを何というか?
リーダー不在のカップルという。

男性がリーダーなら、男らしさを発揮して責任を取り、弱き女・子供を守り、頼りがいのある夫となって家庭運営を立派にやっていくだろう。

女性がリーダーなら、旦那を尻に敷いて、旦那に叱咤激励のハッパをかけて、頼りがいのある奥さんとなって家庭運営を立派にやっていくだろう。

リーダーが存在していればそうなる。


では、リーダーが存在していないカップルはどうなるか?
リーダーが存在していないカップルは不安定となる。
不安定になるのは、やもえない。
お互いが繊細男子で繊細女子だから、しょうがない。

だが、でも、「しょうがない」とあきらめるわけにはいかない。
あきらめたら、いつまでたっても幸せになれない。
このままでは、ずっと不幸だ。

不幸がずっと続くには嫌だ。
ならば、どうする。
勇気を出して、行動に移すしかない。

誰が行動する?
繊細男子か?繊細女子か?

答えは、このブログを読んでいるあなただ。

男性が読んでいれば、男性が行動すればいい。
女性が読んでいれば、女性が行動すればいい。

このままではらちがあかない。
自分は繊細で傷つきやすい心を持っていたとしても、行動に移さなければ何も変わらない。そのことは本人がよく知っている。いつか行動に移さないとダメだということもよく分かっている。

繊細男子と繊細女子は恐がりである。
行動しないで事態が良くなることばかりを待っている。だが、いくら妄想にふけても事態はよくならない。このまま永遠に結ばれない付き合いが続くだけだ。付き合っているのか?付き合ってないのか?分からない、今後の見通しのつかない関係が、ただただ無駄に無縁に続くだけである。

繊細男子は行動に移すのが面倒臭い・・・だからやらない。
繊細女子は行動に移すのが恐い・・・だからやらない。

双方とも、下手に行動して壊したくないと気持ちある。
その恐れがある以上、下手に動くことができない。

頼れる男性がいなくなった。
男性が中性かもしくは女子化している。
女性も繊細でか弱き女子になっている。
この二人は、このままでは永遠に結ばれることはない。

どこかで、失ってもいいという思い切った行動が必要となる。
それをいつやるか?
カギはそこにある。

いつやるかは、あなたに任せるとする。
そのためにアドバイスが必要なら、私はいくらでもあなたの背中を押してあげる。


どんなトラブルか?というと。
頼れない男に頼ってしまうというトラブル。
女性が男役で男性が女役なら、最後までこれを演じればいい。
なにの途中から女になって、彼に頼ろうとするからおかしな事になる。

彼を尻に敷くのなら一生尻に敷くべき。
これを彼も望んでいるのに、途中から彼を頼れる男にしようとするから失敗するのである。彼は変わりません。彼はこのまま頼れない男の方が性に合っているのです。

では、どの場面で女性は彼を頼りにしとうとするのか。
それは、プロポーズのとき。
プロポーズだけは男性に言わせたい。(プロポーズは男性から)
そのときだけ、彼には男になってもらいたい。

無理だね。

それは、一生無理。

彼には、それは絶対にできない。

彼には責任が取れない。

それが頼れない男の正体である。

このケースの場合は、
プロポーズは男役のあなたがするべきである。

彼を頼れる男性に変えることはできない。
したがって、彼に依存することはできない。

ここにきて、彼を頼って依存する女性になってはならない。
彼はあなたを頼りにして、あなたに依存しているのだ。

さあ、頼れない男に頼ってしまうという最大の失敗を無くそう。
そのために、あなたは最後まで男役を演じることだ。



私が男で、彼が女です。
男女逆転組のカップルも増えている。世の中どうなっているんだ・・・と年配者は嘆くが、私から見れば、これも世の中の流れだと自然に受け止めている。

頼れる男性が少なくなったと言われている時代。もはや・・・今の女性たちは頼れる男性など求めていない。逆に頼れない男性を求めるようになった。

「そんなことないでしょ」と言われても、いやそんなことが起きている。本来なら頼れる男性を求めるのが女性の本能だが、今の時代はそういった男性を見つけるのは困難。今の時代の頼れる男とは、中途半端な男性が多い。そして、中途半端な男らしい男ほど被害が多い。ならば、いっそのこと男らしくない男性の方が被害は少ない。それで頼れない男性を選ぶようになった。その方が、被害が少ないからだ。

中途半端な男らしい男とは?
一言でいうと有言実行ができない。
言葉で交わした約束は死んでも守るのが男の証明だが、それができていない。付き合う前は男らしくアプローチして、花よ♪蝶よ♪と言葉の乱舞をするが、乱舞した言葉が一向に実現されていない。

「君は僕の運命の人だ、一生僕の傍にいてほしい」
3ヶ月後には運命の人でなくなり、「君のこと好きかどうかわからなくなった」といっている。

「結婚を前提に付き合ってほしい」
1ヶ月後には、「僕は一生結婚しない」といっている。

一生そばにいてが、半年後には消え去り。僕と結婚を前提に付き合ってといっておきながら、半年後には別れている。

有言実行できない男、これが中途半端な男のことをいう。なんでも最初だけさ、男らしさを発揮するのは。後半になると、これほど裏切る男もいない。まさしく言葉だけの卑怯者。男子は「有言実行である」それができなければ男ではない。



また、運良く付き合いが続いてもトラブルがある。
今度は威張っている男。
有言実行できない男は、怒鳴り散らして自分のせいを相手のせいにする。「オレが結婚できないのはオマエのせいだ」。「オマエのこことここを直せ」自分で発した言葉を守れない男は、今度は弱き女性を悪者にしていじめる。

男子は「弱き女・子供」を守る者なり。
これができていない。

中途半端な男とは。
1, 有言実行ができていない。
2,弱き者を守るより、弱き者をパワハラ・モラハラでいじめている。

これなら、中途半端な男らしい男はいらない。頼れると思って付き合ったが、実際は頼れるどころか被害に遭遇しただけだった。中途半端な男らしい男に頼るより、最初から頼りにならない男の方が被害は少ない。

中途半端な男らしい男ほど被害が多い。ならば、いっそのこと男らしくない男性の方が被害は少ない。それで女性たちは頼れない男性を選ぶようになった。


それによって、
私が男役で彼が女役というカップルが増えた。
有言実行できないで威張っている男よりも、女性たちは安全パイの頼りない男性を求めるようになった。私が男で彼が女という恋愛を。母性愛丸出しの恋愛を、求めるようになった。



どんな異変かというと、恋人同士が会えないという異変。
とくに海外との遠距離恋愛は、渡航禁止なので会うことができない。近距離の日本でも会うことができていない。同じ街に住んでいるカップルでも会うことができていない。恋人同士が会えないという異変は恋愛には致命的だ。それによって多くのカップルが別れている。

コロナが終息するまで待て。
どうやら、それができていないようだ。それができないから別れが多発するのである。

常識のある人なら、この時期は我慢するべきと考えるのが普通だが、恋愛には常識っていうものがない。恋する心は非常識な心を持っている。ルール違反でも法律違反でも、好きな人に会いたいという衝動をもたらす。この衝動が聞き分けのない子と認定されて、別れに至っている。

いま日本ではコロナ別れが多発している。
コロナが終息するまで待て、それができないばかりに。

では男女では、どちらが会えないことに我慢できないか?
圧倒的に女性の方が我慢できていない。女性は会うことで恋愛が維持できるので、当然そういうことになる。男性はどうかというと、別に会わなくとも恋愛は維持できる。もちろん男性の中にも会いたる病を持っている男性もいるが、それは女性に比べてわずかである。

つまり女性は会いたがる病という感情を持っていて、男性は会わなくとも平気という感情を持っている。

女性は愛に命を燃やすが、男性は愛に命を燃やさない。男性が命を燃やすのは仕事だけだ。

だから男性はこの時期に「会うのはよそう」と平気で言えるのである。「感染したらどうする、濃厚接触は禁止だよ」というのが男性の言い分。女性は「二人だけなら大丈夫でしょ。感染などしないわ」となんとか会うのにこぎ着けたいが、男性は頑固として拒否する。

会いたがり病を持っている女性が会えないとなると、それが長く続くと、女性は我慢できなくなり、それが引き金となって、破局へと向かってしまう。

日本中で、コロナによって会えないカップルがぎょうさん別れている。コロナは思わぬところで被害をもたらしている。

会いたがる病での別れだけではない。
コロナの影響で仕事がうまくいかなくなっての別れも増発している。

男性が命を燃やすのは仕事だが、この仕事がピンチを迎えている。ピンチを迎えた男性は、なおさら彼女に会いたがらない。男性が恋するときは、仕事が順調で安定しているときだ。仕事が不調になれば、当然恋愛はストップしてしまうので、破局へと向かってしまう。

コロナによるジタバタ劇が日本中で起きている。
皆さん落ち着きましょう。
この難局を乗り越えるには落ち着くことです。

落ち着くために。
まず、女性の皆さん。
この会いたがる病をなんとかしましょう。
男性は会ってなくとも、愛は変わりません。男性は会えない分、愛が深まるようになっているのです。だから、何も心配いりません。女性のようにしょっちゅう会わなくても愛は維持できるのです。だから大丈夫です、安心して会いたがる病を発症させないでください。コロナが終息するまで待ちましょう。大丈夫です、男性の愛は数年経っても愛は以前と変わりませんから。

男性の皆さんへ。
彼女を幸せにするために今は仕事に専念してください。コロナによる未曾有の危機は、あなたの力で乗り越えることができます。腐らないで落胆しないで、精神的に落ち込まないで、今はただただ我慢の時です。いまこそ忍耐を覚えること。かの天才たちが歩んだ同じ道を、あなたも歩むだけです。厳しい道のりですが、あなたなら大丈夫です。

女性は信じて待つ。そこに愛がある。
男性は耐えて困難を乗り切る。そこに愛がある。

コロナが終息すれば、やがて二人は結ばれる。
こんな素敵なカップルになりましょう。



彼と連絡が取れない。
理由があって連絡が取れない場合と、理由もなく連絡が取れない場合がある。

前者は喧嘩などで二人の関係がギクシャクしたとか、相手の仕事が激務になって連絡が取れない状況になったとか、何らかの理由があればまだ対処の仕方の方法があるが、問題は後者の理由もなくまったく連絡が取れない場合。

彼は何を考えているの?なぜ連絡をしてくれないの?私からの連絡はスルー。何の応答もない。私のこと嫌いになったの?私が何かしたの?それとも他に好きな人ができたの?女性の頭の中は暗雲がたちこもりモヤモヤと悩み出す。

どうして男の人はそういうことをするの?
一方的に連絡を遮断して無視する。なぜそういうことができるの?これって人としてどうなの。あなたには常識がないの。ルールが守れないの。これは人として最低よ。モヤモヤからイライラに変わりやがて怒りに変わる。

なぜ男の人はこういうことをするのか?
私が男の本音を語ろう。同じ男として解るが、きっと面倒臭くなったのだろう。男は面倒臭くなると黙る習性がある。男性は女性と違ってコミュニケーションが苦手で下手くそ。これが毎日あるとウンザリする。

だから、しばらく黙っていたい。沈黙こそ男の息抜き、息抜きをすることで自由が得られてリラックスできる。ああ、やっとお喋りから解放された。しばらく無口でいよう。コミュニケーションが苦手で面倒くさがり屋の男はときどき沈黙の息抜きをする、これが音信不通の理由。

男が理由もなく突然一方的に音信不通にする場合は、沈黙の息抜き。ダンマリを決める時間が欲しかっただけ。男は息抜き中でも彼女のことが好きである。だから何も心配することない。サービス期間が終って少々疲れた。だから息抜きをする、ほんの数ヶ月だけ。

女性がそのように解釈できれば、大抵の男性とはうまくいく。この解釈ができるかどうかだ。それができてこそ、面倒くさがり屋の男とはうまく付き合っていける。


私が知る限りでは、その解釈ができた女性はいない。好きでもない男にはできるが、好きになった男にはできない。好きな彼から三日連絡がないだけで、女は狂ってしまう。

狂ってしまうから、将来結ばれる相手とも別れることになる。音信不通男とは別れてもいいが、それでも女性たちはその男のことを好きだという。これがとても厄介な感情で、この感情の持ち主である女性は、いつも男性から連絡を遮断されるたびに狂っている。

もうやめようか。
非常識で卑怯な男の一方的な音信不通で悩むことはやめようか。面倒くさがり屋の男を相手にするには、あなたも面倒臭いと思って無視すればいい。

面倒な男は無視すればいい。
あなたが放置すれば、この問題は解決する。

男性と付き合えば、「放って置く」ことを覚えること。
これを完璧に覚えよう。

あなたが放って置くことを完璧に覚えれば、すべての音信不通で悩まなくて済むようになる。是非、放って置くことを完璧に覚えることだ。

どうすれば、放って置くことを完璧に覚えることができるか?
それは、男に期待しないことだ。男に依存しないことだ。彼に対する期待と依存を無くせば、放って置くことが完璧にできる。

だいたい音信不通にする男は人として失格だ。人間ができていない。恋人と連絡を取り合うことは人間としての最低のルール。このルールを守らない男は、将来の期待が持てない。将来に期待が持てない以上、依存するものではない。

連絡を寄こさない男など、あなたが無視すればいいのだ。
あなたが冷たく無視して放って置けば、心ある男性なら戻ってくるだろう。戻って来なければ、それまでの男、単なるクズだ。あなたはクズなど相手にする必要ない。

私はそこまで強くなれるかしら?
なれる!このブログを読めば。このブログは哲学だ。あなたが成功するための哲学だ。
だから、このブログを熟読していけば、じわじわとあなたに哲学が浸透していくだろう。そして、その中からきっかけが見つかるはずだ。こうすればうまくいくという方法をあなたは見つけ出すだろう。



「不幸が襲ってきても、動揺せずに堂々としている。」これが出来れると最高ですね。

不幸が襲ってきても、慌てず騒がず、堂々としている。まさしく哲学だ、生きる哲学だ。

これはどうやって学ぶか?
答えは、哲学を勉強すればいい。不幸が襲ってきても、動揺せずに堂々としていることは哲学で学ぶことができる。だから私は哲学が好きだ。哲学って、どこにあるの?それは、目の前にあります。あなたが今読んでいるこのブログが哲学です。あなたはこれをタダで手に入れている。もの凄い量の哲学をね(笑)

私はこれを毎日せっせと書いている。
あなたのために。いや人々のために。少しでも多くの人が救われるように書いている。これってな~に。無償の愛さ(笑)

私は出し惜しみもせずに自分の知識を提供している。遠慮せず、思いを全部ぶつけている。あなた方が不幸にならないように、最善を尽くしている。これがこのブログの役目だから。

哲学はこのブログでも十分に学ぶことができるが、足りなければ他で勉強してもいい。他にも先人たちの教えはたくさんある。優れた書物を読み、知恵をたくさんつければ、それがすべて哲学となる。

哲学は不幸が襲ってきても、動揺せずに堂々としていることを教えてくれる。堂々とすることができれば、健全な精神と肉体の持ち主となる。そうなれば、不幸の方から逃げていく。我々は精神も肉体も健全に保ち、常に好ましい状態に持っていくのが使命であり、生きている限りその努力を続けなければならない。

努力を怠ったとき、人は心も体も崩壊する。
人間は繊細で弱い。心も体もガラス細工だ。ちょっとした亀裂でポキッと折れてしまう。ガラス細工は亀裂で折れるが、しかし、人間の肉体と精神は哲学というパワーが救ってくれる。折れたらまた哲学に戻ればいい。生きる哲学を取り戻すことだ。

生きる哲学は、今までに生きた経験と、今までの人間関係と、今までの書物によって生まれる。どうやらあなた方には最後の本から学ぶ経験が不足しているようだ。私はこれを補うために、こうして毎日ブログを更新している。

私自身もそう。
勉強不足になると、心が動揺し始める。勉強不足になると運動もしない。勉強不足になると働く気もしなくなる。勉強不足になると、今まで学んだ哲学を忘れてしまう。そうなるとどうなるか、不幸が近づいてくる。心がネガティブとなって不安なことばかりを考える。そんな怠惰な日常を送っていると、間違いなく不安が的中して不幸になる。

それを阻止するため、哲学を補充する。先人たちの本をとって、再度知恵を授かる。1時間ほど読み続けることによって、また哲学の魂が戻ってくる。十分に勉強したつもりなのに、三日怠けたら、忘れてしまった。これが人間の愚かさなのかもしれない。だから、哲学は常に補充する必要がある。サボれば並以下の人間になってしまうからだ。

哲学を常に補充することで、不幸が襲ってきても、動揺せずに堂々としていることができる。
だから、繊細な人たちよ常に哲学を学べ。


自立は怖いと思うよ。誰も助けてくれないから。すべて自分でやらなければならない。

自立は怖いか?
自立を早くした人間から言わせると、思ったほど怖くない。怖がるから怖いのであって、やってみると大したことない。

食わず嫌いと一緒。食べたことがなく、味もわからないのに嫌いだと決め込むこととなんら変わらない。そんなことをしていたら、いつまで経っても自立できないよ。

自立をもっと夢あるものに変えてみたらどうかな。
たとえば、九州の田舎で育った少年少女が、東京で働きたいという夢を持って、高校を卒業すると同時に上京する。こんな感じに、夢に自立を置き換えたらどうだろうか。

もちろん上京すれば、それなりの苦労はある。ホームシックにかかったり、冷たい東京人の仕打ちにあって、なんで自分は東京に出てきたんだ…「そんなはずではなかった」と悔やんだり泣いたりすることもあるだろう。

それでも自分は東京に出てきた。寂しくて孤独で、つらくて悲しく、悔しい思いをして後悔しているのに、それでも東京に出てきた。

のちのち、それらはすべて勉強だった。この経験があったからこそ、今日の自分がいる。今の自分はすっかり東京人。もうあんな田舎には戻りたくないとさえ思っている。

親からの自立も同じ。
自立すれば、もう実家には戻りたくないと思うだろう。口うるさい親からやっと解放された。「これで自由だ!」もうこれからは、親にあ~だこ~だと言われることなく好きなことができる。自分が行きたいところも自由に行ける。恋人も自分で好きな人を選んでいい。自立の醍醐味は自由になれること。自由を手に入れれば、当然孤独感に苛まされるが、孤独より自由をやがて人間は重んじるようになる。

孤独は新しい人間関係で埋め合わせることができるが、自由は遅くなればなるほど手に入らなくなる。だから寂しくても、なるべく早く自由を手にすることだ。


私は一人になることが憧れだったので早く自立した。とにかく独りという自由が大好きだった。だから、早く家を出たかった。高校を卒業と同時に家を出た。自分は今でもこれで良かったと思っている。

東京での一人生活もすぐに慣れた。お金はなかったけど、とても快適だった。なんでも自由にできるのは最高の気分だ。親からの独立は最高の気分だ。これで早く一人前の男になれる。それが確信できてさらに嬉しかった。

早く自立した私から言わせれば、なんで皆さん自立しないの?と思ってしまう。30過ぎて実家にいる人…え?なんでいるの信じられない。女性ならまだしも男性が30過ぎても実家にいる。これはもう…私からすればあきれ返ってものがいえない。

まあ、この時代だから仕方ないと思うけど。それにしてはねえと思ってしまう。

皆さんご存じなんだね。
自立ほど楽しいことはないのに、ご存じないんだね。これほど面白いことないのに、やらないのは損だと思うよ。早く自立を経験しなさい。私が言えるのはそれだけ。

自立するのが怖い?
そう誰も助けてくれないから。

そうかな、誰も助けてくれないから逆に面白いではないかな。すべて自分の力でなんとやるしかないので、依存心がなくなる。自立は、この依存心をなくすことができる最高のやり方。この力を手に入れるために自立がある。

依存心さえなくせば、人は自由に大きくなれる。いつまで経っても小さい人間いるのは、依存心があるからだ。依存心をなくすには自立が一番。一人でやっていける力を得てこそ、人生は豊かになる。



あなたは自分の長所よりも短所について考えがちではないだろうか?自分には良いところもあるのに、なぜか悪いところを考えてしまう。もしそうなら、今日からこの考え方を改めることだ。

自分のことを悪く思う感情は、この感情が妥当でないと気づくこと。人は感情で生きているが、この感情をコントロールするのも、また自分自身である。

ほらほら、またあなたは自分のことを悪く考えているね。ほらほら、またあなたは自分の欠点ばかり考えているね。よくないよ、その感情は。自分と仲良くなろうよ。自分を労り自分を大切にしようよ。

繊細女子は自分の弱さを暴露する生き物。私ってなにをやってもうまくいかない。好きな人には避けられるし、同僚には嫌われる。人間関係もうまくいっていない。この先、生きていく自信がないわ・・・とても不安だわ・・・と自分の弱さばかりを暴露する。

自信のなさや不安を100万通り暴露しても、何も解決しない。これは単なる愚痴に過ぎない。愚痴を100万発放っても、あなたという人間が良くなるわけではない。

繊細女子は人に助けを求める天才。繊細な女子に「なんか~」と言われると、父性愛の強い男性なら助けてあげたいと思う。女子が弱っているときに騎士道を発揮して助ける男性もいるが、これがまた中途半端で曖昧な男性が多い。なにが曖昧かというと、責任能力がないからだ。

つまり無責任で曖昧な優しさを持っている男性。この中途半端な恋愛に巻き込まれることがよくある。自信のなさと不安と弱さをさらけ出した中途半端な恋愛ほど、救いとならない。ひとときの癒やしのみで、あとからとんでもない苦痛が待っているだけだ。

責任のある恋愛をするためには、自分の弱さをさらけ出さないこと。そのために、自信のなさや不安がある部分をあまりさらけ出さないこと。助けてもうらつもりが、逆に弱さを利用されてしまうのがおちだ。

繊細女子は精神的に自立すること。
これができていない。
これができれば、大半の悩みは解決するのにもったいない。
もったいないと放置するのではく、これからは、精神的な自立に向けて努力するべきだ。そのためには、思い切った行動が必要である。

実家住まいなら実家を出て独り暮らしを始める。
自立するための◯◯の資格が必要なら資格を取る。
自立するためのお金が必要なら貯金をする。
体力が必要なら、運動して体を鍛える。
精神力が必要なら、前向きになる本を読んで心を鍛える。

どれひとつとっても、繊細女子はそれをなかなか着手しない。それがその子の欠点。だが、やろうとする決意はある。この決意がいつになるか?それはこの子に任すしかない。だが、この子はいつかやってくれるだろう。依存心を捨てる行動を自ら行なうことに期待するしかない。

期待通りにいけば、良くなる方向へ変わる。
これは間違いない。
そのチャレンジをいつするかだ。
そのために自分の感情をコントロールすることである。
自分のことを悪く思う感情は、この感情が妥当でないと気づくこと。
気づけば、人は前に向かってチャレンジすることができる。
人は長所を発見して長所を伸ばすために行動するものだから。